• ARTICLES
  • 【後編】AIはコンセプトからアートを解放させる/ 連載「作家のB面」Vol.14 岸裕真

SERIES

2023.07.28

【後編】AIはコンセプトからアートを解放させる/ 連載「作家のB面」Vol.14 岸裕真

Text / Yutaka Tsukada
Photo / Ryo Kawanishi
Edit / Eisuke Onda
Illustration / sigo_kun

アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。 連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼/彼女らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて話してもらいます。 

第14回目に登場するのはAIを使ったアート作品を制作する岸 裕真さん。前編では大好きなホラーコンテンツへの愛を語ってもらいました。そして、後編ではホラーとアートの関係性や、AIを使った制作の話まで展開しました。

SERIES

前編はこちら!

前編はこちら!

SERIES

【前編】日常を侵食する「ホラー」に取り憑かれて / 連載「作家のB面」Vol.14 岸裕真

  • #連載

 

現代アートの役割はホラーとイコール?

ーーそもそも岸さんがAIを使用して制作するようになった経緯はどのようなものだったのでしょうか。

もともと東京大学の研究室でいわゆる生成AI、つまりイメージ生成アルゴリズムについて研究していました。それが2018年で、当時、AIを使った絵画作品がクリスティーズで約4900万円で落札されるというニュースを知りました(*1)。そこでどんなアルゴリズムが使われているのかなと思って見てみたら、あまり本質的なことをしてるとは思えなかったんですね。なので自分が研究していることを、どこかの企業のエンジニアになって社会にフィードバックさせるよりも、美術館や人文系のフィールドに輸入するほうがもしかしたら意義があるんじゃないかと思い、ちょうど就活のタイミングでもあったので、美術制作にシフトしていきました。

*1.......2018年10月、パリを拠点とするアーティストや研究者らのグループ「Obvious」が開発したAIで制作した抽象画《Edmond De Belamy》がクリスティーズで落札されて話題に。

ーー展示の際には映画を参考にすることがあるそうですね。 それにはどういった考えがあるのでしょうか?

前回開催した個展「The Frankenstein Papers」(2023年/DIESEL ART GALLERY)では、アンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』(1979年)と、『惑星ソラリス』(1972年)を引きました。それともうひとつ映画を参考にしたのは個展「Imaginary Bones」(2021年/√K Contemporary)のときで、そのときはスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』(1968年)を引用しました。「映画から引くぞ」という思いがあったというよりかは、現代美術は表面的に見てても分かりづらいので、視覚的で、ある程度大衆的である映画からのコンテキストを盛り込んで、過去との接続を図ったという感覚に近いかもしれないです。

作家自身によりチューニングされた自然言語処理モデル「Mary GPT」をキュレーターに見立てた個展「The Frankenstein Papers」(2023年/DIESEL ART GALLERY)

AIの視点から骨を再解釈し、わたしたちの世界とは違う形状、ルールによって構成された世界を提示した展示「Imaginary Bones」(2021年/√K Contemporary)

前編でもお話したように、2chのオカルト掲示板とかはもちろん覗いていたんですけど、映画にも昔から親しんでいました。母親が学校の先生で、教育ママだったのでひたすら勉強をさせられていたので、時間のあるときに『サマー・ウォーズ』(2009年)とかを観て現実から逃げていました(笑)。勉強している最中もひたすら映画のサントラばかり聴いていたくらいです。

もちろんその頃からホラー映画も観ていて、世界に風穴があくような感じに惹かれていました。そんなふうに10代のころの自分にとって映画は拠り所だったのですが、最近、個人的に勝手に考えているのは、今現代アートが担うべき役割は、ホラーが担う役割と近しいんじゃないかということです。

現代アートって人類がどういうふうに智慧を更新できるかについての実践であり、その記録と継承だと思うんですが、時代を代表するようなスタイルが生まれづらい現代は、メインのストーリーがなくなってきています。キュレーターの長谷川祐子さんは先日まで行われていた「新しいエコロジーとアート」展で「まごつき期」という言葉を使っていました。美術だけじゃなくて、社会全体に拡大しても良いのかもしれないけど、今は未来を見失っている状態なのかもしれません。でもそんな時にこそ、まだ人が見えていない、未知の可能性を予感させる、まさにホラーがあける風穴のような、ブラックホールを見つけたい。そしてその先にある、混沌とした世界を予感させる装置を作るようなプレイヤーがいてもいいんじゃないかなと思ってるんです。

 

AIに主体性をもたせながら、アートを作ること

ーー 前回の個展「The Frankenstein Papers」は、それこそAIというテクノロジーを通じ、恐怖心を喚起するような側面もありましたよね。

そうですね。恐怖心と不気味さみたいなテーマが頭にありました。ただそれと同時に考えていたのは、僕は2020年ぐらいからAIを使って制作を始めたんですが、その当時は人工知能を使ってクリエイティブをやろうみたいな人は少なかったんです。でも最近はすごいじゃないですか。画像生成AIとかChatGPTが普及して盛り上がっている。

そういう状況を俯瞰してみてみると、10年後とか100年後に、今の人工知能アルゴリズムを使った作品がいくつ残っているのかということを考えます。そしてそれを裏返して、じゃあ、今の人工知能アルゴリズムを使って作るべきものは何なのかという問いを、すこし責任感を持って考えようと思いました。そこで10年後の人が抱えるAIに対するイメージと、今の人が抱えるAIに対するイメージの違いを考えてみたのですが、それは"不気味さ”にあるんじゃないかという結論に至りました。

「The Frankenstein Papers」で展示されたMary GPTの自画像《The Incomplete Author #2》

カメラが明治初期に日本に入ってきたとき、当時の人って手を絶対映さなかったらしいんです。それはひとつに、単純に手を隠した方が可愛いみたいな、”映える”っていう意識と、もうひとつは、手を映すと魂を吸われるっていう迷信があったからだそうです。でも、手を隠してしまうその表現にこそ、当時のカメラに対する日本人の表現であるとも考えられますよね。だからAIを使って、そういう思い込みというか、現在のAIに人々が抱くイメージを強調した展示を作ろうと思ったんです。そこで人工知能にステートメント文を生成してもらって、キュレーションされることで主導権を渡し、支離滅裂さとか、不気味さを浮かび上がらせようとしました。

「The Frankenstein Papers」での後期展示の様子

ーー 展示を終えてみての手応えはいかがでしょうか。

この展示の会期中にChatGPTの日本対応版がリリースされたのですが、それもあってかビューアーが高いレイヤーで理解してくれた感触があって、反応も良かったです。技術としてGPTは以前からあったので、展示でもそれを使っていました。そういうタイミングでもあったので、いろんなメディアに取り上げてもらうことができました。

自分としては展示を通じて、「人工知能ってもっと儲けるために使うもんじゃないの? すごい変なことに使ってる人がいるわ。嫌なもの見ちゃったかも」みたいに思ってくれたらいいなといつも思っていて、先ほども言ったように不気味さとか、違和感のある空間を目指しました。

でも終わってみて反省していることが2つあって、まずAIを使ってアートを制作するとキャッチーなことをしてる感じに見えてしまうということがひとつ。もうひとつは絵や立体を置いて、AIの作成したステートメントと並置することによってビューアーが困惑するまでの段階は作れたのですが、それをもっと浸食したかったなという思いがあります。AI側にもっと主体性を持たせるべきだったのかもしれません。

ーーそれはどういうことでしょうか。岸さんはAIを使ったアートの可能性について、どんな展望を持っていますか?

AIが面白いのは、人間が主体性を持たなくても良いことです。つまり人間は、責任を負わなくてもいい。制作をしてると思うんですけど、決めなきゃいけないことが多すぎる。それを正しくAIに任せることで、ポジティブに作用させられるなんらかの回路があるはずなんです。でももしかしたらそれを実現するには、人間がAIのプログラミングを放棄しなきゃいけないかもしれない。そういう考えもあって「The Frankenstein Papers」の後期の展示では、AIをコントロールせず、あえて壊れたプログラムを使用して、それに基づいて設置を行いました。

「The Frankenstein Papers」の後期展示風景より

これもすこしスケールが大きな話なんですが、 カメラの登場はアートを写実から解放したという話があるじゃないですか。じゃあ人工知能は何からアートを解放するのかというと、もしかしたらコンセプチュアルなものからアートを解放するんじゃないかと思うんです。そういった関心が最近高まっていることもあり、今まではAIを使ってイメージを生成していましたが、ステートメント、つまり言葉の生成という別のモデルによってAIにキュレーションをさせるというスタイルに取り組んでみたんです。

こういうふうにAIのポテンシャルをもっと引き出さなきゃいけないと思っているのですが、今の生成AIブームも、そろそろ終わると思います。だからこそ自分がもっと頑張らねばと考えているんですが……実は先日、ボクシングを始めたんです(笑)。

「ボクシングはパンチが飛んでくるので反射的に動かないと行けないんです」(岸)

──えっ、なんでですか、急に(笑)

なぜボクシングを始めたのかというと、自分のフェイバリットにアンディ・クラークの『現れる存在 脳と身体と世界の再統合』という本がありまして、そこで言われてるのは、人類の知性は外界からの刺激とか、まわりの環境に埋め込まれているんじゃないかということです。つまりアンディ・クラークは、知的活動をモデリングするときに脳みそだけで考えちゃダメみたいなことを提唱している。

認知科学の第一人者・アンディ・クラークによる『現れる存在』(ハヤカワ文庫NF)は、生命における心と脳、身体の関係性を解いた

それを読んだ時に、自分も脳みそだけで考えてたなと思ったり、ちょっと身体的に強くなりたいなって思っていたタイミングだったので、ボクシングを始めました。やってみて面白いなと感じたのは、そこは考える暇がほぼなくて、ひたすら条件反射に身体をならしていく世界だったということです。ボクシングをやっていると、AIみたいに入力されたデータを元に定義して、出力をする、みたいな過程がなくて、入力と出力が一直線なんです。そういう競技での経験を、次の制作に生かしていきたいなと最近は考えています。全然、作品にならないかもですけど。

bmen

ARTIST

岸裕真

現代美術家

2021年、東京大学大学院工学系研究科電気系工学専攻修了し、その後、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻入学、現在も在籍。人工知能(AI)を用いてデータドリブンなデジタル作品や彫刻を制作し、高い評価を得ている日本の現代美術家。主に、西洋とアジアの美術史の規範からモチーフやシンボルを借用し、美学の歴史に対する我々の認識を歪めるような制作をしています。AI技術を駆使した岸の作品は、見る者の自己意識の一瞬のズレを呼び起こし、「今とここ」の間にあるリミナルな空間を作り出す。主な個展に「Neighbors' Room」(2021/BLOCK HOUSE)「Imaginary Bones」(2021/√K Contemporary)「Moon?」(2022/HARUKAITO by island)「The Frankenstein Papers」(2023/DIESEL ART GALLERY)がある。

新着記事 New articles

more

アートを楽しむ視点を増やす。
記事・イベント情報をお届け!

友だち追加