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2023.06.16
「5・18、光州ビエンナーレへ」 / 前田エマの“アンニョン”韓国アート Vol.3
この連載はモデル・前田エマが留学中の「韓国」から綴るアートやカルチャーにまつわるエッセイです。小説やエッセイの執筆でも活躍し、国内外の美術大学で学んだ経歴を持つ前田が、現地の美術館やギャラリー、オルタナティブスペース、ブックストア、アトリエに訪れて受け取った熱を届けます。第3回は光州事件が起こった場所で生まれた「光州ビエンナーレ」をレポート。
BTSや韓国映画、文学から知る光州の痛み
“5・18”
5月18日。
東日本大震災が、日本では3・11と呼ばれるように、韓国語ではオー・イル・パル(5・1・8)と呼ばれるこの日。
この数字が、私をここまで連れてきたような気がする。
2023年5月18日。私はついに光州に来た。
1980年5月18日。韓国・光州。
民主化を求める市民たちが軍事政権によって武力弾圧され、学生を含む多くの一般市民が亡くなった。韓国軍が自国民を大量虐殺した、つまり国が国民を殺した、9日間に及んだこの抗争は“光州事件”という名でよく知られている。
私が韓国の歴史、いや、もっと言えば韓国の映画や文学に興味を持つようになったきっかけは、この光州民主化抗争だと言っても過言ではない。その扉を開いたのはこの連載の一回目でも紹介した韓国の7人組ボーイズグループ・BTSだった。
BTSの楽曲『Ma City』の中で、光州出身のJ-HOPEさん(1994年-)が歌ったのは、光州へのプライドと、歌手になるという夢への情熱だ。彼のパートの最後は“518”の数字で締めくくられる。
BTSとしてデビューする前、SUGAさん(1993年-)がプロデュースした楽曲『518-062』は、この抗争で闘った市民たちへの敬意を歌い上げている。
518とは、何なのだろう。
なぜ、当時を体験していない若者が、この数字を歌い、伝え続けようとするのだろう。
私はまず、光州民主化抗争をテーマにした映画を観てみることにした。
アカデミー賞を受賞した韓国映画『パラサイト』でもお馴染み、ソン・ガンホさんが主演の『タクシー運転手』は、当時の光州の様子がとても分かりやすく描写されている。地獄絵図と化した光州へと乗り込み、この真実を世界へ伝えようとするドイツ人記者と、ひょんなことから行動を共にすることとなったタクシー運転手の実話をもとにした物語だ。
『タクシー運転手』が市民側から見た5・18だとすると、『ペパーミント・キャンディー』は韓国軍側から見た物語だと言えるかもしれない。兵役中に光州へ派兵され、そこでの体験がきっかけとなってその後の人生が崩壊していくひとりの青年の一生を描く。余談だが、この映画は韓国と日本が初めてタッグを組んで製作された作品だ。
さらに5・18を理解する上で役立つと思うのは『1987、ある闘いの真実』だ。1980年の光州民主化抗争は、国の情報統制により、国民が真実を知るまでに長い年月がかかった。しかしこの抗争が大きなきっかけとなって、韓国中で民主化運動が起こる。自分たちの国を民主化するために命をかける人々の様子、そして軍事政権の恐ろしさがよくわかる映画である。
アジア人で初めてマン・ブッカー賞を受賞したハン・ガンさん(1970年-)の小説『少年が来る』(2016)は、さまざまな立場で光州民主化抗争に関わった人々の、肉体、心、社会的な痛みを圧倒的な筆致で描いた作品だ。
今や世界中から注目を集める韓国の民主化が、そんなに遠くない過去の出来事だということ。“声をあげ、自分たちの社会をいい方向へと導いていく”という態度を、今も強く持ち続け行動していく韓国の人々に、私は衝撃を受けた。
アーティストたちの物語が、光州の物語と繋がっていく
数年前、私が夢中になって5・18のことを調べているのを見て、母が教えてくれたのが『光州ビエンナーレ』だった。
1995年から2年に一度、光州で開催されている大規模な現代美術の国際展。歴史的に大きな傷を負ったこの地で、世界中のアーティストたちは何を感じ取り、どんな作品を作り出すのだろう。興味がわいた。
第14回目を迎える今年は、2023年4月7日から7月9日まで開催されている。私はどうしても5月18日に光州へ行きたいと思い、念願叶って、母とふたりで初めて光州の地を訪ねた。今回の旅では、ビエンナーレ会場と、5・18にまつわる場所や施設を2日間かけて巡った。
今回訪れたのは5・18の追悼記念行事が行われていた〈国立民主墓地〉、犠牲となった方々の名前が刻まれたモニュメントが設置されている〈5.18記念公園〉、5・18に関する様々な資料が展示されている〈5・18民主化運動記録館〉の3箇所。写真は「コドッサン」と呼ばれる、集団墓地
今回のビエンナーレの全体のテーマは「soft and weak like water」(水のように柔らかで弱い)だ。これは老子の言葉「天下水より柔弱なるは莫し」から来ている。
この世に水より柔軟で弱いものはないけれど、堅強な者を攻めるには、水にまさるものはない。
水の性質を変化させることはできない。弱いものが強いものに勝つことがあるというのを皆、分かっているけれど、それをやってのけるのは難しい。
5・18を光州という特定の地域に限定するのではなく、光州の精神が世界のさまざまな地域で展開された民主主義と自由のための運動と共鳴することを、このビエンナーレでは提案していくと言う。地政学的な文脈の違いこそあれ、あらゆる抑圧に対する連帯という共通の感性を通して、個人と普遍をつなぐ、国境を超えた物語に光を当てるということだ。
老子の引用から読み解くと、例え弱くても、小さくても、そのひとつひとつがいつか大きな力になり、世界を変えていくということだろうか。もしくは、水が持っている柔軟性、普遍性が、人々の心を癒していき、それが大きな変化へと繋がっていく、ということだろうか。
ディレクターを務めるのは、テート・モダンで働いた経験を持つ、韓国人女性イ・スキョン氏だ。
今回観た作品には、5・18を直接的にテーマとして扱ったものや、韓国の詩、小説、文化や歴史を手がかりにしたものもいくつか見られたが、様々なアーティストが語る自身の物語も、どこかで光州と確かに繋がっている、そんな印象を抱いた。それは自国の戦争、自身の難民体験、環境問題や民族問題だったりと様々な語り口だったが、ここが民主化運動で多くの血が流れた光州であること。朝鮮半島がかつて植民地支配により、言語や文化を奪われた時代を持っていること。そして未だ冷戦状態に在り、ひとつの民族が離ればなれであること。全てのことが、今につながり、今も続いていることを体現していくような、そんな力強い説得力があった。
個人的にとても好意的な印象を持ったのは、ペインティングの作品が想像以上に多かった点だ。昨今の国際展では、ペインティング作品が少ないように感じるが、若者から年配者、故人まで、様々なペインターの作品を、とても自然な流れで組み込んでいた。
多種多様なアーティストの作品が一堂に会すると、散漫になってしまい、ひとつひとつの作品への印象が希薄になってしまうこともあるが、キュレーターの手腕なのだろう。作品同士が、どこかでつながりを感じられ、それでいていい距離感を保っていた。
少し話は戻るが、光州民主化抗争の実態を伝えるうえで重要な役割を果たしたのは、日本を含めた海外のメディアだった。5・18とビエンナーレを巡った今回の旅で感じたのは、自国の歴史や問題を内側から語ることももちろん大切だが、外側の者だからこそ伝えられること、発見できる切り口もあるのだということだ。その両者が手を繋ぎながら未来へと歩んでいく姿を、考えていきたいと思った。
光州ビエンナーレ・写真レポート
ビエンナーレのメイン会場は、5ヶ所。
〈光州ビエンナーレホール〉〈ホランガシナム・アートポリゴン〉〈国立光州博物館〉〈無覚寺〉(ムガクサ)〈アートスペース・ハウス〉
それ以外にパビリオン会場が9ヶ所(カナダ、中国、フランス、イスラエル、イタリア、オランダ、ポーランド、スイス、ウクライナ)ある。メイン会場のひとつである〈アートスペース・ハウス〉(映像作品の会場)では、写真を撮り忘れた。パビリオンの写真も撮っていないけれど、〈アジア文化殿堂〉という大きなアートスペースで少し撮ったので光州ビエンナーレの写真と合わせて掲載する。
〈光州ビエンナーレホール〉
ビエンナーレのメイン会場。「遭遇(Encounter)」「後光(Luminous Halo)」「祖先の声(Ancestral Voices)」「移りゆく主権(Transient Sovereignty)」「惑星の時間(Planetary Times)」という5つのテーマの展示が行われた
Pangrok Sulap《Gwangju Blooming》(2023)
誰もが身近な道具で制作でき、複製ができる木版画はアジアの民主化において、非常に大きな役割を果たしてきた。5・18の様々な場面を、大きな木版画作品で表現した作品
Soun-Gui Kim《Gwangju. Poems》(2023)
女子高生たちの詩の朗読と、嵐や台風を記録した水の映像が融合したインスタレーション。朝鮮王朝時代の女性作家の詩を、女子生徒たちが朗読する。韓国で疎外されてきた女性の視点と、未来を担う若い世代の声を融合させた作品。
Emily Kame Kngwarreye
オーストラリアの先住民族・アボリジニである彼女は70歳を超えてから絵を描きはじめた。私は中学生の頃にオーストラリアと日本の美術館で彼女の作品を観て以来、大好きなので、光州の地でこのような文脈で出会えたことに感動した。1996年に亡くなっている。
Edgar Calel《The Echo of an Ancient Form of Knowledge》 (2023)
先祖への感謝のジェスチャー。食べ物を先祖に捧げる。
Tess Jaray《Tower Series》(1980)
現在85歳。ウィーンで生まれるが、ナチスドイツによるオーストリア併合により、ユダヤ人である彼女と両親はイギリスに逃れる。1968年から99年までスレード美術学校で初の女性美術教師となる。60年以上にわたり、抽象絵画の中に空間を作り出す可能性を追求している。
〈アート・ポリゴン〉
アート・ポリゴンは、日本による植民地支配への抵抗、キリスト教伝道の歴史が刻まれた地域にあるコミュニティアートスペースだ。近くには5・18で負傷した市民を多く受け入れた光州キリスト病院があった。
Yuko Mohri《 I/O》( 2011-23)
冒頭で紹介した作家ハン・ガンの小説「すべての、白いものたちの」からインスピレーションを受けた毛利悠子の作品。紙が床をなでることで、ホコリなどの小さなゴミが集められる。これらの微細な要素や、空気の流れ、湿度、床の凹凸などの影響を受けて、独自の「楽譜」が作られ、それをセンサーが読み取り、電気信号に変換して楽器や照明、ブラインドなどのオブジェクトを動かす。ものが動き、音が鳴る作品。ここの近くにある病院には光州民主化抗争の際、多くの死傷者が運ばれた。
〈国立光州博物館〉
光州を含む全羅南道各地域の文化財、国宝などを保存、展示。2010年9月初めにリニューアルオープンした。
Yuki Kihara《A Song About Sāmoa—Moana》
日本とサモアの血を引く作家、ユキ・キハラ。サモア族の「シアポ」というテキスタイルと日本の着物を組み合わせた作品。着物に刺繍で描かれるのは、外国勢力による資源採掘の増加に対して警告を発する混沌とした光景や、外国船が次々とやってきては支配を競う様子。
〈無覚寺〉(ムガクサ)
仏教寺院。5.18記念公園の中にある。1971年の創建以来、市民に瞑想と修行の場を提供。また併設するギャラリーでは地元アーティストの発掘や支援を担ってきた。
Dayanita Singh《Mona and Myself》(2013)
ダヤニタ・シンは雑誌のカメラマンとして活動していたが、インドのボンベイのセックスワーカーや児童労働、貧困などをテーマに作品を撮るようになった作家。その中で出会った“第三の性”を持つモナ・アハメド。モナを撮った「動く静止画」と呼ばれる作品。
〈アジア文化殿堂〉
ここはビエンナーレ会場ではないが、様々なアートを見ることができる。この連載で前回紹介したPropagandaの展覧会(彼らのVHSコレクション展)も開催されていた。
連載「前田エマの“アンニョン”韓国アート」
Vol.1 「なぜいま、韓国のアートなのか?」
Vol.2 「韓国映画のポスターを手掛ける『Propaganda』のアトリエへ」
Vol.3 「5・18、光州ビエンナーレへ」
Vol.4 「誰でも自分らしく居られる、アートの居場所へ」
Vol.5 「韓国在住の日本人アーティストのアトリエを訪ねて」
Vol.6「この半年間で体感した、韓国アートの熱さ」【最終回】
DOORS
前田エマ
アーティスト/モデル/文筆家
モデル。1992年神奈川県生まれ。東京造形大学を卒業。オーストリア ウィーン芸術アカデミーの留学経験を持ち、在学中から、モデル、エッセイ、写真、ペインティング、ラジオパーソナリティなど幅広く活動。アート、映画、本にまつわるエッセイを雑誌やWEBで寄稿している。2022年、初の小説集『動物になる日』(ミシマ社)を上梓。
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