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2023.12.08

抽象彫刻の第一人者・建畠覚造が手掛けたさいたま市与野駅の柱 / 連載「街中アート探訪記」Vol.25

Text / Shigeto Ohkita
Critic / Yutaka Tsukada

私たちの街にはアートがあふれている。駅の待ち合わせスポットとして、市役所の入り口に、パブリックアートと呼ばれる無料で誰もが見られる芸術作品が置かれている。
こうした作品を待ち合わせスポットにすることはあっても鑑賞したおぼえがない。美術館にある作品となんら違いはないはずなのに。一度正面から鑑賞して言葉にして味わってみたい。
今回はさいたま国際芸術祭2023が開催されているさいたま市から与野駅前にある建畠覚造(たてはたかくぞう)の作品を見に行く。パブリックアートといえば抽象彫刻のイメージが強いが、日本の抽象彫刻を牽引してきた建畠覚造はどんな作品を残したのか。

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大北:与野駅前にやってきました。与野市、大宮市、浦和市合併して、さいたま市になったそうで、与野はその真ん中。お、駅前のロータリーの中心にあるモニュメントですね。タイトルは時の柱。

『時の柱』建畠覚造 2000年 企画:株式会社ローザ環境造形事業部

 

わが街の中心には高いものがある

塚田:ズドンとしてますね。
大北:でかいですね。パブリックアートにとってでかさは一つのジャンルとしてありそうですね。
塚田:でかい系みたいな。
大北:セカイ系みたいになってますが、モニュメントズドン系。
塚田:それは元をたどるとトーテムポールとかの話になりますよね。
大北:たしかにトーテムポールはパブリックアートですね(笑)。
塚田:トーテムポールは先祖を祀るものですけれども、公共空間に標(しるべ)となるものを立てようとした時に柱状の形態は昔からずっと選ばれています。
大北:お城の天守閣も街の中心に高いものがあると言えますね。
塚田:高いものって公共空間のなかでいろんな役割を果たしてきてますよね。

塚田:時の柱に話を戻すと、そういったものが輪切りにされてずらされて重ねられているということはどういうことなんだろうね、っていう話なんじゃないですかね。
大北:あ、そうか。権威のありそうなものがジェンガみたいな感じになってるんだ、これ。
塚田:だるま落とし感が強いですね。
大北:そう言われると急に運動を感じてきました。こっち叩いたからこうズレたんだなとか。

 

権威が輪切りになる二律背反

塚田:建畠覚造さんって人の作品なんですけど、二律背反的な状況を自身の制作のテーマにされています。
大北:二律背反的な状況ってのは、逆のことが同時に成立してるようなことですかね。
塚田:そうです。建畠さんは抽象的な彫刻をたくさん作っていますが、あなたの作品は抽象彫刻ですよねって聞かれても「具象の彫刻を作るにしてもデフォルメとかの変形や省略があるので抽象化はあるし、抽象的な彫刻作るにしても具体的な物体にはしてるわけだからそれは具象だ」みたいな言い方をしていて。背反している要素の共存を追求しているという話をされてました。
大北:話を聞きに行った人は多分、この人面倒だなって思ったでしょうね(笑)。
塚田:僕は取材のリサーチでそれを読んで、作品の画像とかも見て今日ここに来て思ったんですけど、倒れそうで倒れない感じですよね、これは。
大北:町の中心の塔を作るんだなと思わせといて、やべえ、倒れるぞこれっていうのを作っちゃうのも二律背反的といえばそうですね、なるほどな~。
塚田:そうですね、均衡してるけど、均衡してないかもしれない。スリリングに見えてきます。

大北:最初見たときはガタガタした物体があるなって思ったけど、じっくり見ると叩いたのかなとか動かす向きとか考え始めて、見方が豊かになってきました。
塚田:そうですね、さっき大北さんも叩いたからずれたのかなってプロセスを感じ取ってくれてましたよね。
大北:他の作品だと、どういうところに二律背反があったりするんですか。
塚田:硬い素材なのに柔らかそうとか。
大北:じゃあやはり対立を第一歩目というか最初の方のところで起こすんですね。柱を作るぞ、だけど倒れそうだとか。
塚田:そうそう。
大北:単純な話だけど、こんだけでっかいことでやられるとインパクトあっていいですね。でかいとそれぐらいシンプルでいいなってなります。

 

異物が付いて有機性が生まれる

大北:みんなが毎日見る場所にあるけど、意外と鑑賞させてくれる作品。でも、なんだろ、棒がついてるな。
塚田:多分棒がなくてそのまんまだと積み木とかだるま落としみたいにしか見えないから、みたいなところもあると思うんですけどね。
大北:ああ、それは大事なところですね。わが町の中心にだるま落としある、だとちょっとなー。
塚田:建畠さんは日常的に見たものとかをスケッチして書き溜めとくんですって。落書きみたいな単純な形を色々書きためておいて、それらを組み合わせて1つの作品に集結させることをやってたみたいなんで。
大北:棒は全く偶然ついた可能性もありそうですね。
塚田:柱みたいなものにもう一つ要素として付け加えるっていうところで、突起物をつけたんじゃないですかね。
大北:突起物があると危なそうとか握ったら痛そうとか違う要素が出てきますね。
塚田:実際に見て思ったのが鉄の表面が反射するじゃないですか。突起物が映り込んでにゅいんっておもしろい形になってますね。

大北:なってますね。意図したのかなあ。
塚田:もしこの作品がマットに塗られてたら印象だいぶ違うんでしょうね。まるで植物みたいな有機性を感じさせてくれます。

大北:ロータリーに置いてあると中心の方には歩行者は行かないですよね。
塚田:でもロータリーにあると360度遠くから離れて見られるってのはいいですね。
大北:中心には寄れないけど全方向で見られる。普通の道だと見渡せないでしょうね。ロータリーに置くことも意識したのかな。
塚田:色んな角度から見られるなら鏡面にしてみようかなとか。考えてそう。
大北:下から見ると鏡面になってて面白い形に見えるなあ。ここに暮らす人からしたら大きな出来事ですよね。2000年になんか駅前にでっかいのできたぞって。
塚田:あそこにも銅像がありますよね。さいたま市になってから色々ボンボン立ったんでしょうか。
大北:高層マンションも建って。鏡面になってると周りの風景とよく調和しますね。
塚田:マンションとかの景色が反復されて映ってる感じが見えて面白いですね。
大北:そうですよね、合併して中心に高い柱が建って、開発で周りにも高いマンションができてっていうのは面白いですよね。

 

日本の抽象彫刻の第一人者

大北:建畠さんはどういう方なんですか。
塚田:日本の抽象彫刻の第一人者といわれてる人で、しかもサラブレッドですよ。お父さんが明治の彫刻界を牽引した建畠大夢って人で、覚造さんもお父さんが指導している東京美術学校(注:東京藝術大学の前身)に1937年に入って、学生の時から頭角を表したんです。それが戦前までで。
大北:なるほど。
塚田:抽象彫刻というものは1920年代ぐらいから作られてはいたんですけども戦争に入って、戦争の時って鉄とか武器に使われるからそんなに活発に作られなくなっちゃって。戦意を高揚させるための軍人とかの銅像が求められるんで建畠さんのような前衛的な作品は作られてなかったんですね。それで戦後こういった抽象的な彫刻を精力的に作っていたのが建畠覚造ですね。
大北:覚造さんもそんな前から抽象的な彫刻を作ってたんですか。
塚田:この人はもう50年代とか60年代から。
大北:じゃ、これ作られた時はもう晩年の。
塚田:ですね。1910年代生まれで亡くなられたのが2000年代後半だったので2000年の作品だと晩年ですね。
大北:こんなでかいものを設計してここをああしてこうしてっていうおじいさんがいるんですよね。変わった仕事だなあ。
塚田:でもまあ大工の棟梁さんとかもでかいものを作ったりもしますからね。そういうおじいさんがいたっていいじゃないですか。

 

全てに秀でてるがゆえにイメージがない

塚田:建畠さんは日本の彫刻を牽引してきた人なんで、ありとあらゆることやってるんですよ。名前は有名なのに固定的なイメージがそんなになかったんですけど、それっていろんな素材を試してるってことなんですよね。
大北:日比野克彦といえばダンボールみたいなものがない。
塚田:抽象的って言ってもこういう幾何学形態的なものもあれば、有機的なものもあるし、色がついてるものもあれば素材の特徴だけで勝負するっていう作品もあるし。ちょっと作家のイメージが捉えにくいんです。
大北:マンガだと手塚治虫も全ジャンルにおいて上手でこれだって作品が言えないですね。
塚田:建畠は抽象的なものっていうのではある程度一貫してるんですけど、時期によっては傘だとかネクタイだとか日常的なものをそのまま作品に入れたりとかもしてるんです。
大北:具象もアリなんだ。これはでかいですけどちっちゃいものも多いんですか。
塚田:ありますね。自分は今まで名前は知っていましたが、作家のイメージがつかなかった理由が、それくらい幅広い人だったからこそなのか、と思い至りました。
大北:バラエティに富みすぎていると。第一人者なんだなー。

 

彫刻はバランスを追求してきた

塚田:彫刻って、バランスについてすごい昔から取り組んできて、作者が美しさとかバランスの取れた形を目指すんです。ギリシャ彫刻とかは人体の理想的な形を写実的に作ったりとか。あとダビデ像ってありますよね。ミケランジェロの。あれって上半身が大きく作られてるんですよ。
大北:普通の人体よりも上がでかいんだ。
塚田:なんでかっていうと元々高いところに設置される予定だったんで、見上げた時にバランスよく見えるようにっていう風に彫刻そのものが作られてる。
大北:なるほどなあ、いつか見下ろしてみたいものです。
塚田:直接的な関係はないと思いますが、時の柱も上の方に細かくなっていくようなところがあって。上の方に幅の細いやつが1個ずつ挟まってるじゃないですか。
大北:一番下はズドンと長いのに対して上の方は幅の短い輪っかが多いですね。
塚田:視線が上に流れていくようなことを意識してるんだと思いますね。

大北:なるほど、下がズドーン、大きい! ってなって上が細かいっていうのは言われてみると上に上に見そうな感覚がありますね。いや~こんなところ我々は意識してないですね。
塚田:でもそこはやっぱり作者は意識してると思います。
大北:建畠覚造さんは二律背反で対立させるんだから、何か対立させるにはそこにはバランスも絶対あるか。
大北:ダビデ像は人体としてはバランスを崩してるけど、見た人にとってはちょうどいいバランスになっているってことですよね。バランスって鑑賞者にとってのちょうど良さってことになるんですか。
塚田:それだとちょっと属人的になりすぎちゃうので、作者にとってのちょうどよさですね。
大北:作者が見た時のちょうどいいってなんなんだろうなって考えちゃいますね。あんまり異物感がないってことかな……いや、よくわかんなくなってきますね。

 

パブリックアートにおけるバランスを考える

塚田:大北さんはちょうどいいと感じましたか?
大北:うーん、駅前にありそうな作品だなと思いました。
塚田:あー、そういう意味でのちょうどよさか。
大北:でもそこにも確かにバランス感ありますよね。例えば大阪の南茨木駅前のヤノベケンジ作品は駅前の「ちょうどいい」を超えたもののような気がします。

塚田:そうですね。色ってやっぱり大事だなって思いますよね。彫刻、それもパブリックアートの場合は。
大北:色はたしかに。風景になるし。
塚田:フィギュアみたいに塗り分けられてると物としての存在感が出すぎちゃう。ヤノベケンジはもちろんそういう文化からの影響があるからこそああいう風に塗り分けてるんですけど、現実だとある種看板みたいなものに見えてしまう。それこそ大阪の道頓堀のような食い倒れ人形とかもあるところだったら大丈夫じゃないですかね。だけど南茨木駅前だと日常的なちょうど良さとはちょっとは離れてるので、異物感があって目立つ。
大北:そうですよね。なるほどな。いや、面白い話ですね。バランス。彫刻界の重鎮ともなってくると、バランスをすごく上手にとって作るんだろうな。
塚田:上の1個1個もなんか微妙に傾いてる気もしますよね。
大北:柱のバランスを崩すことがこの作品においてのちょうどいいバランスになってるのかなあ。抽象彫刻の第一人者が駅前に作ってくれるぞ、ってなって「これ倒れるんじゃないか」って笑い話みたいになってていい話ですね。
塚田:そのテーマ面白いですね。大北さんいつかそれでコント書いてくださいよ(笑)

コントの舞台を作る大北(左)と美術評論の塚田(右)でお送りしました

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DOORS

大北栄人

ユーモアの舞台"明日のアー"主宰 / ライター

デイリーポータルZをはじめおもしろ系記事を書くライターとして活動し、2015年よりコントの舞台明日のアーを主宰する。団体名の「明日の」は現在はパブリックアートでもある『明日の神話』から。監督した映像作品でしたまちコメディ大賞2017グランプリを受賞。塚田とはパブリックアートをめぐる記事で知り合う。

DOORS

塚田優

評論家

評論家。1988年生まれ。アニメーション、イラストレーション、美術の領域を中心に執筆活動等を行う。共著に『グラフィックデザイン・ブックガイド 文字・イメージ・思考の探究のために』(グラフィック社、2022)など。 写真 / 若林亮二

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