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2023.11.10
伝統を引き受けながら、表現の革新にも取り組んだ「九兵衛さん」のパブリックアートを京都で見る / 連載「街中アート探訪記」Vol.24
Critic / Yutaka Tsukada
私たちの街にはアートがあふれている。駅の待ち合わせスポットとして、市役所の入り口に、パブリックアートと呼ばれる無料で誰もが見られる芸術作品が置かれている。
こうした作品を待ち合わせスポットにすることはあっても鑑賞したおぼえがない。美術館にある作品となんら違いはないはずなのに。一度正面から鑑賞して言葉にして味わってみたい。
今回は京都にたくさんのパブリックアートが存在する清水九兵衞の作品である。陶芸家清水六兵衛としても活躍した清水九兵衞が背負う伝統とは。何気なく通り過ぎそうなパブリックアートを深掘りし、京都の美を見つけ出す。
前回は京都の京阪出町柳駅を探訪しています!
壮観な京都駅ビルに存在する赤い彫刻
塚田:京都駅ってかっこいいですね。
大北:そうそう、平成ガメラの映画で破壊されたり、かっこいい建物として認知されてますね。
塚田:今回見るのはあれです。ちょっと見えてる。
大北:赤いやつ。ここに置いてある他のアート作品も雰囲気が近いなあ。
塚田:もしかしたら合わせて作ったのかもしれませんね。現在の駅舎が完成したころとほぼ同じ制作年になっているので。
『朱甲舞』清水九兵衛 1997年 @JR京都駅
大北:朱甲舞というんですか。案内文によると「朱色の鎧をまとった踊り手」をイメージしたという話ですが。大きいですね。
塚田:近くで見ると確かに大きいですね。10m近くありそう(※実際は6m)。
大北:待ち合わせスポットになるぐらい大きい。ここは駅の構内ってことになるんですかね。
塚田:でしょうね。この先に美術館があるんですよね。反対側には京都劇場がある。
大北:じゃあ文化も近いしアートが置かれているんだ。建物も建築としておもしろいし、いい場所にありますね。
伝統を背負うことになった清水九兵衞
塚田:九兵衛さんは九兵衛というくらいだから窯元の家の人なんです。
大北:代々受け継ぐ家の人?
塚田:そうです。でもこの人の経歴というか、人生が面白いんですよ。生まれはこの代々続く清水家とは関係ないんです。
大北:おっ、清水とは関係ない。
塚田:元々建築とか工作とかがすごい好きで、学校で鋳金という金属を加工する、工芸品だったり彫刻を作ることを大学で学んでたんです。そしたら先生に京都の清水家が跡取り息子にどうだと勧められ養子に入った。そこから陶芸の家の子になるわけです。
大北:就職先としての窯元の養子なんだ。
塚田:もちろん働きに行くというわけでもないのですが、ニュアンスとしてはそういうのも含まれていますね。なので陶芸が身近なものじゃなかった人が、いきなり江戸時代から続く窯元の養子になるという。
大北:清水家っていうのは清水焼の清水なんですかね。
塚田:清水焼は清水寺近くのやきものの総称なんですが、清水家はその一つです。そして清水六兵衛を継ぐんですけれども、養子になった時はまだ先代であるお父さんがいたんで。陶芸のこともやりつつ、元々、勉強していた金属を扱うことや、建築好きが高じて立体作品を作りたいという気持ちが抑えられなくなって、でも養子に入ったわけだし立体作品を発表するときの名前として清水九兵衛という名前を自分で作って名義として使っていたんです。
大北:それは、何年ぐらいの話ですか。
塚田:それが60年代ぐらいの話ですね。60年代って工芸とか陶芸をやってる人たちが、こういうオブジェっぽいものを作るムーブメントが結構あって、京都にも走泥社※という前衛陶芸のグループがあったんです。そこの人たちがオブジェとしての陶芸みたいなことを言い出した時期に、この人も活動を始めていて。そういうところにも刺激を受けたりしながら、自分なりの立体作品を作っていこうという。
※走泥社…1948年京都に結成された陶芸家グループ。実用性から離れた「オブジェ焼き」という革新的な作陶を発表し、一時代を築いた。1998年に解散。
大北:走泥社には入らず、同時代の近い場所で影響を与え合いながら。
塚田:走泥社の八木一夫というボスみたいな存在の人は清水九兵衛に対してデザイナー的な作品を作るよねっていう風なことを言ってお互い意識してたっていう感じです。八木一夫なんかは陶芸屋さんの息子として生まれて、陶芸とは骨絡みの関係を持ちながら、そこから新しいことをやろうとする人たち。それに対して、たまたま陶芸と関わることになった、建築や鋳金をしていた九兵衛は、非常にスタイリッシュな傾向があり、そこを八木一夫は「デザイナー的」と言うわけですね。でも九兵衛は、完全に西洋的な作品でもなく、どこか日本的な作風でどんどん立体を作っていった。
大北:デザイン的なものっていうと、この作品はそんな気はしますよね。日本的なっていうのも、なんとなく瓦っぽいとか、神社的な赤色だったり。
塚田:そうですね。実際、そういうインスピレーション源を感じさせることを指摘されたりもしてます。瓦っぽいとか、朱色は鳥居のイメージを連想させるみたいな評価をされてます。
塚田:建築的なものに関心があったからか、ユニットを組み合わせる的な作品が多いんですよね。
大北:へえ、組み合わせの作品。
塚田:これは瓦的なものと真ん中の柱的なものが組み合わさった作品ですし。
大北:たしかに。前回教わった一本の木から削り出すザ・彫刻的な作り方とちょっとちがいますね。
伝統的家業と革新的作品の両立
大北:京都の陶芸の一派は陶芸の分野から彫刻をやろうとした人たちですか?
塚田:そういう人もいますがそもそも京都のやきものは集団制作なので。
大北:みんなで器をどんどん作るんだ。我々の陶芸家のイメージは「こんなんじゃダメだ、バリーン!」ですが。
塚田:そうじゃない人もいます。
大北:メーカーさんみたいな側面があるってことですね。
塚田:だから九兵衛さんも清水六兵衛として窯の経営をしていた時代もあるんですよね。現在も清水六兵衛のお店は京都にあります。
大北:それでいて九兵衛名義のパブリックアートとしてどしどし作るんですね。昼は資産家ブルース・ウェイン、夜はバットマンみたいなもんだ。
塚田:まあそんなに大きな企業でもないですけどね。でも九兵衛さんのパブリックアートは調べてみると新宿とかにもあるんですよ。
大北:じゃあ、京都の伝統的窯元でありつつ全国的に活躍してる新しい感覚のアーティスト、っていうバットマンなんですね。
土とアルミニウム/伝統とモダンの対立
大北:90年代にこの作品ができた時には九兵衛さんはご高齢?
塚田:60歳ぐらいですね。
大北:窯元で陶芸をやりつつ、こういう活動も続けていたんだ。
塚田:そうですね。でも陶芸はそこまで活発ではなくて清水九兵衞での活動もかなりやっていたとか。縁もゆかりもない陶芸の家に入ったけれど、お父さんが陶芸やってくれてるし自分は彫刻をやろうと。それでどんどん成功しちゃう。言ってみればめちゃめちゃ優秀な放蕩息子みたいなことですよね。でもお父さんが亡くなると襲名しなきゃいけない。襲名すると個展とかをやるらしいんですよ、歌舞伎とかでも襲名披露公演ってあるじゃないですか。そういう個展をやるまでに7年かかってるんです。
大北:それまでは彫刻に没頭して陶芸あんまやってなかったから。
塚田:そこからちゃんと向き合ってたら7年経っちゃったっていう。
大北:でも7年かけるのは真面目な態度ですね。
塚田:そう。さっさとやっちゃうこともできたでしょうね。でもそれだけ慎重だったのは、土が嫌いだったかららしいんです。
大北:現代っ子みたいなこと言ってるな。
塚田:もう少しちゃんと言い直しますが、嫌いというか苦手意識を持っていたんですね。彼の言葉の中で独特な表現だなって思ったのが、土はおしゃべりすぎるから嫌だっていうことを言ってます。
大北:あー、かっこいい言い回しだ。色々変化が多かったりとかですか。
塚田:そう。陶芸に使う土ってって焼くと10~15%必ず縮むそうなんですね。
大北:九兵衛さんイライラしそうですね。
塚田:あと、ひび割れとか、アクシデントもあり、変化が予測しづらいと。清水九兵衛は建築が好きだったんで、正確な図面をかなりきっちり書いた上で作品を作っていたんですよ。
大北:土は自分でそこまでコントロールできないもの。
塚田:そういう素材との相性の悪さもあって襲名の展示までに時間がかかってしまったっていうことらしいんですよね。
大北:これはコントロールしないとできなさそうなカッチリした作品ですもんね。
塚田:それこそ、この作品は日本的な雰囲気を持っていることとは裏腹にアルミニウムでできてるみたいなんですけど、アルミニウムって金属の中ではすごく加工がしやすいものなんです。
大北:そっか、金属といっても色々あるのか。アルミで作りやすいとしても面白い形をしてますね。
塚田:彫刻みたいな西洋の芸術的な表現をしてるけれど、日本的なフォルムになってますよね。
大北:西洋のデザインを志向してアルミで彫刻作っていたい人に、陶芸家の家に入ったことで、日本の陶芸が宿命として乗っかってきたんだ。いや、だんだん分かってきましたよ。モダンvs伝統だったり、アルミvs土だったり、自分の意思と思い通りにならないものとの対立とか葛藤が九兵衛さんなんですね。おもしろい。
大北:さあ、もう一つ見に行きましょう。九兵衛さんのパブリックアートが京都にはたくさんあって、京都の国立近代美術館で回顧展が開催されたときに「てくてく九兵衛さんマップ」というパンフレットが作られていて、それがネットでも見れますね。九兵衛作品を置こうっていうプロジェクトがあったんですか?
塚田:プロジェクトっていうわけではなく、普通に昔からパブリックアートも手掛けてた人なので、京都にゆかりのある作家ということもあって選ばれているという流れじゃないでしょうか。
大北:「せっかく置くなら清水はんとこの…」と選びやすいし、京都だとお客さん来るしパブリックアート置く機会もたくさんありそうですしね
塚田:調べたところ、この作品自体も京都駅の駅舎リニューアル開業と同時に置かれたようです。だから他のデザインとも呼応するような意識がうかがえます。
先端が伝統に沿っていく過程を見る
大北:つづいてやってきたのは京都駅から100mくらいですか、銀行の前の交差点に。
大北:コンビニロゴも白くなってるし赤い銀行看板も白い。景観を気にするのは京都の街並みらしさですが、彫刻も色に配慮があるのかな。
塚田:色は九兵衛自身もこだわっていて、調合まで関わったものが使用されてるみたいですよ。
『CONNECTION』 清水九兵衛 1981年 @新京極センタービル
大北:あ、面白い。面白い形をしているな。
塚田:面白いですね。2つが組み合わさってるんですね。1枚1枚じゃなくて。
大北:これ、下の色が金色っぽいのは意図的なのかなあ。植え込みも石もあるんですね。
塚田:そう、石と組み合わさってるって感じですね。
塚田:タイトルがコネクション。英語なんですね。81年作で結構古いですね。九兵衛作品マップの中でも一番古い作品だ。
大北:さっきの16年前。コネクション、繋がり。
塚田:確かに形が繋がっている。こちらもユニットっぽいものの組み合わせ。
大北:これ、純粋に形が面白いですね。
塚田:タコさんウインナー的な曲線美が。
大北:タコさんウインナー的な色味と相まってどんどんそう見えてくるからやめてください。
大北:これって扱いとしてはどういう扱いなんですか。
塚田:ざっくり言うと20世紀の中の抽象的な形の彫刻の中の1つですよね。
大北:こういう抽象的なものをよく見かけますけど主流っちゃ主流なんですかね。
塚田:いや、主流ってことでもないんじゃないですかね。やっぱり具象的な銅像も多いですし。
大北:パブリックアートといえばこういう抽象的なものというイメージがあるなあ。
外部を取り入れる京都の雅
大北:他の作品を見るとさっきの朱甲舞のような朱色のものが多いんですね。伝統とがっつり向き合うぞ的な活動なんですかね。
塚田:うーんと、伝統の話をそこまで単純化するのは慎重でありたいですね。京都の伝統ってなんなんだって話、さっき移動中にしたじゃないですか。
大北:中華料理が入ってきたとき、「これは京都の人に合わない」と昆布だしを入れて改造され”京中華”というものが生まれたという話ですね。
塚田:それって京都の陶芸も一緒なんですよ。京都の陶芸が有名になったのって江戸時代のお土産物としてなんです。
大北:へえー、お土産物。
塚田:江戸時代って旅行が一般化した時代で。
大北:あー、はいはい、お伊勢参りとか大山詣とか。
塚田:はい。京都って総本山がいっぱいあるじゃないですか。だからみんなお寺参りに来るわけですよ。そのお土産として陶器が買われたんです。それで京焼きっていうものがブランドとしてどんどん確立していくわけなんです。だから京都の「雅」を発見したのは外側からの旅行客だったとも言えるんですね。
一方、お土産として買われる方も、売るために企業努力をするわけじゃないですか。それで京の焼き物は何をしたかっていうと「京瀬戸」というような全国の窯元の名前の頭に京をくっつけるという戦略をとったんですね。
大北:おっ、京中華的なものがボコボコ生まれるんだ。
塚田:江戸時代にそういうふうにして、外側からの影響を京都流に仕立て直す形が出来上がったんですね。
大北:中華料理なんて油っこいもの口に合いまへんから京都流に昆布だし入れときましたんで、と。
塚田:この清水六兵衛の家も師匠から息子へと特別作風の伝来がないままずっと続いてるんです。今までで歴代六兵衛さんが8人いるんですけど、全員作風が違います。
大北:へえ、すごい。ブランドだけあるんだ。
塚田:名前は続いてますけどね。なので九兵衛が建築やってたとか、土が得意じゃないって話は表面的に聞くと異端な存在なように思えますけど、実は意外と外側からの影響を常に取り入れてきたのが京都の陶芸の歴史の中で考えると…
大北:むしろ京瀬戸みたいな考えでいくとど本命と。
塚田:そういう見方もできる人なんです。
DOORS
大北栄人
ユーモアの舞台"明日のアー"主宰 / ライター
デイリーポータルZをはじめおもしろ系記事を書くライターとして活動し、2015年よりコントの舞台明日のアーを主宰する。団体名の「明日の」は現在はパブリックアートでもある『明日の神話』から。監督した映像作品でしたまちコメディ大賞2017グランプリを受賞。塚田とはパブリックアートをめぐる記事で知り合う。
DOORS
塚田優
評論家
評論家。1988年生まれ。アニメーション、イラストレーション、美術の領域を中心に執筆活動等を行う。共著に『グラフィックデザイン・ブックガイド 文字・イメージ・思考の探究のために』(グラフィック社、2022)など。 写真 / 若林亮二
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