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2023.10.20
京都のパブリックアートに見るミニマルアートのその後 / 連載「街中アート探訪記」Vol.23
Critic / Yutaka Tsukada
私たちの街にはアートがあふれている。駅の待ち合わせスポットとして、市役所の入り口に、パブリックアートと呼ばれる無料で誰もが見られる芸術作品が置かれている。
こうした作品を待ち合わせスポットにすることはあっても鑑賞したおぼえがない。美術館にある作品となんら違いはないはずなのに。一度正面から鑑賞して言葉にして味わってみたい。
今回は彫刻家・福嶋敬恭(ふくしまのりやす)の作品である。1960年代に登場し注目を浴びたミニマルな作風の福嶋が、どうして人型の彫刻作品を作っているのか。70年代に隆盛したミニマルアートのその後の展開を街のパブリックアートで見る。
前回は有楽町の国際フォーラムを探訪しています!
観光客と大学生が行き交う京都で
大北:さあ京都の京阪出町柳駅にやってきました。京大の最寄り駅ですね。京都でARToVILLAの催しがあるわけですよね。
塚田:ARToVILLA MARKETというのが今年は京都で開催されるのでそれに合わせて京都のパブリックアートを見ようと。
大北:出口のところにあると聞きましたが。
塚田:あーこれですね。
大北:ちょっと寂しげなところにありますが。ライトが点いてないのでそう感じるだけか。人通りはけっこうありますね。
塚田:できたのは平成2年だから30年以上前ですね。
大北:柵があるから作品専用のスペースとして用意されてるのかな。
塚田:調べるとこの作品は福嶋敬恭さんの個展で発表されたものなので、ここのために作ったわけじゃないようです。ただ個展での展示からあまり時間を置かずここに設置されているので、予定はされてたのかもしれません。
『ダンシングブルー』福嶋敬恭 1990 京阪出町柳駅 5番出口付近
隆盛の後、枝分かれしていったミニマルアート
大北:おっ、この作品は作者の解説がこんなにあるんだ。珍しいですね。
塚田:でも福嶋さんの全体のキャリアから考えると言わされてるなと感じますね。
大北:公共に向けて書いてこいと(笑)
塚田:本来はあんまりこう説明はしたくないっていうスタンスの人なんですよ。福嶋さんって元々ミニマルアートの人だったんですよね。1970年代ぐらいの作品を見ると直方体とかそういうのを並べたり。
大北:おお、ええー! それがこんな人っぽいものを!? だいぶ変わりましたね。
塚田:ミニマルアートってそもそもピークが1960年代後半から1970年代ぐらいなので、そこから作家も色んな方向に枝分かれしていくんですよね。直方体だけじゃなくて自然物を置いたり、カラフルになったりだとか。一つの目標でガーってやろうっていうムードはピークを迎えて落ち着いて、その中で当然福嶋さんも作風を変化させていった。
大北:福嶋さんはこういう作品になっていったんですか?
塚田:この頃は、そうですね。80年代ぐらいに人型っぽいような形が現れ始めて。そこから延長線上でこういう風にいくつかの要素を組み合わせる作風に変化していきました。
大北:観光客の方がじっと見ている。
塚田:作品のことが気になってる様子ですね。
塚田:(観光客に英語で「これは何?」と話しかけられる)ディスイズスカルプチャー。ジャパニーズフェイマスアーティストワーク。
大北:(割り込んで)ノー、ディスイズノットフェイマスアーティスト。
塚田:アイアムスペシャリスト。ディススカルプチャーイズメイドバイフェイマスアーティスト。ヒーイズビギナー。
大北:ノットソーフェイマス。あ、行きましたね。そんな有名な人だったのか、福嶋さんは。
塚田:美術館で個展が開催されるクラスなので僕の感覚からすると十分有名ですよ。なんで急に「有名じゃない」とか言い出すんですか(笑)。
日本のミニマルアートの第一人者
大北:福嶋さんのキャリアとしてはどんな感じの人なんですか?
塚田:日本におけるミニマルアートの第一人者みたいな評価ですね。というのも1960年代半ばに、アメリカのコレクターにちょっと気に入られて1年半ぐらい渡米してたんです。つまり1960年代の半ばのアメリカで最新のモードだったミニマルアートを現地で見てるんです、
大北:あ、現場にいて制作も行い。
塚田:はい。制作もしていたようです。そこから帰ってきて自分が生で見た作品を意識したミニマルアートを作っていって、日本での評価と知名度を上げてく、
大北:たしかに渡米が難しい時代に「あのアメリカのミニマルアートを現地で学んできたの!?」ってなったら、時代の寵児になりそうですよね。
塚田:渡米したのが学生の頃だったということもあり、新聞でも取り上げられました。アート界のプリンスみたいな感じで。ほら、だんだん「フェイマスアーティスト」に思えてきませんか(笑)?
大北:アートの連載やってるくせにめちゃくちゃ権威性に弱いですからね(笑)。でもみんな心の奥底では「これ有名なの? 信じていいの?」って思ってるはずですからね。
繊細に作られた痕跡が見える
大北:説明はかなり言葉を尽くして説明されてますね。ここの楕円形は微妙に盛り上がってるんだよ、とか、角度によって見え方も変わるよ、と。ここを歩く人が通過しながら見てもおもしろいですよと言ってるのかも。
塚田:僕たちが喋ってる間に止まって見ている方もいましたね。
大北:「宇宙システムを密接なものとして捉え直そうと試みたもの」という言葉はどうしたんだとなりますね。
塚田:そこはもう「深い」ってことですよね。
大北:深いこと考えてんだよって声明。でも作品を文章にしろと言われると宇宙くらい出てくるか。
塚田:普遍性を意識しているからこそこのような言葉遣いになるんだと思います。
大北:説明に書かれていた楕円の「中程の盛り上がり」わからないですね。すごい微妙な量かもしんないですね。
塚田:結構微妙ですよね。
大北:数ミリ単位の話なのかも、繊細に作られてるんですね。
彫刻的な作り方
大北:これは彫刻といってもどうやって作ったんだろう。あ、元は同じ1枚の板ってことか。
塚田:人型の形は切って、ねじって加工したって感じがしますね。
大北:なるほど。じゃあ学校の工作とかでやるような遊びに近いんだ。
塚田:多分1枚なんでしょう。彫刻と塑像で言うなら、1個の物体を彫り出すような彫刻的な考え方で1枚の鉄板を加工したっていうことなんでしょうね。
大北:ああ、1本の木から何ができるかみたいな感じで、1枚の鉄板から。塑像というのは?
塚田:粘土みたいに何もないところからどんどん足していく方法です。
大北:なるほど、じゃあこれは彫刻らしい彫刻とも言えるんですね。
大北:素材も面白いですよね。あんまり見ないやつだ。筋肉みたいに見えるし、水流みたいにも見えるし。
塚田:福嶋さんは結構色々素材を試すタイプで、木材も鉄もやってます。素材にこだわる工芸的な考え方で作ってはいません。
大北:なるほど。土の心を聞け的な陶芸家みたいな感じではない。
塚田:美術家らしいですね。素材感はそんなに出したくないとも言ってるので。
大北:そういうもんなんですか。
塚田:一つの素材に固執しちゃうと作家のイメージがついてしまうじゃないですか。だからキャリアを通じて色んな素材で作ってるんじゃないでしょうか。
ミニマルから離れてクラフトマンシップへ
塚田:ミニマルアートの作家って直方体とか作るので無機質なものにどんどん近づいていきます。それでそうなると、結果的に作品を自分で作らなくなるんですよ。純粋な客体を目指すので、直方体を工業製品のように発注すればいいとなる。
大北:買ってきたほうが余計な要素なくなりますね。
塚田:福嶋さんがそれら本家本流のミニマルアートと違うところは、無機質に近いんですけれども全部自分で一から作るクラフトマンシップに溢れているところです。だからこそ、こういう風な展開の仕方をするのは納得できますよね。形の歪みを、金属を繊細にねじって加工している。言われても気づかれないようなボリュームを楕円に与えてたりだとか。自らの手で作品をコントロールしていきたいという意志が感じられます。
大北:けっこうふつうに彫刻のアートですよね。ミニマルアートらしさを全然感じさせない。
塚田:昔の作品を見ると「まさかこんな作品を!?」って思いますよ。ほんと箱が並んでるだけですからね。
大北:(検索する)あ、ほんとだ、箱が並んでるんだ。
塚田:そして今日見ているようなスタイルを経て、近年はもう一回箱に回帰しています。
駅の彫刻に見えたミニマルアートらしさ
大北:説明文は「色彩」と「楕円形」と「人体」3つの要素でこの作品が成り立っているというところから始まりますね。楕円形を推してくるのは、かつて直方体を扱ってたミニマルアートらしさかなあ。でも要素で考えたりするのはらしいのかも。
塚田:ミニマルアートは見る人が動いたりすると作品の見え方が変わるよねってことを問題にしたわけですが、やがてそのことをもっとよく伝えようとして、壁にとりつけたり、床に寝かせてみたりとか置き方にこだわるようになるんです。
大北:ミニマルアートあるある「置き方こだわりがち」だと。
塚田:それで今日はここを見てやろうって思ってたポイントの一つが「壁からの距離」なんですね。
大北:壁からの距離??
塚田:1979年の雑誌『みずゑ』に載っていた藤枝晃雄という有名な評論家の方との対談が『抽象する場 福嶋敬恭作品集』に転載されたものを取材のリサーチのために読んだのですが、そこで福嶋さんは作品を壁からどれぐらい離すかについてめちゃめちゃ語ってたんですよ。
大北:壁からの距離!? よく読んできましたねそれは(笑)
塚田:その時の対談では具体的に自分の展示に触れながら「この時は10センチぐらい離しました」ってことを言ってるんです。
壁からの距離が生む平面性と立体性の間
大北:とすると奥側のここのことかもしれないですね。
塚田:10cmあるかないかぐらいですかね。
大北:対して前側はすごいギリギリだなあ。こういう細かいところを評論家と話し合うんですね。
塚田:でもそういう細かいディテールが、作品の印象を左右するんです。福嶋さんは壁にぴったり付けると絵のような感じになってしまうし、逆に離しすぎちゃうとただの物体になってしまうと危惧していました。
大北:ただの物体もダメなんだ。絵と物体の中間の物ってことなのか。なるほど、おもしろいなー。
作品を角度と前後感で見る
塚田:それが10cmくらいだとそういうニュアンスが生まれるんだっていうことを言っていて、見る人にどういうふうに感じてもらおうかということをすごく考えてるんです。例えば今側面から見てますけど、正面のほうに人型を傾けているのがわかります。このような角度は、表面の素材の反射の効果も踏まえたうえで決定されたのではないかなと想像します。
大北:こっち側にお辞儀するように傾いてますね。構造上無理がある。
塚田:もしこれが直立だったら味気がないような作品に見えてた可能性もありますね。便宜上左足と呼びますけど、左足が他より前にせり出していることとか。
大北:なるほど、左手も出たりとか完全に一枚というわけではないんですね。わりと微妙にぐにゃぐにゃしていますね。
塚田:このぐにゃぐにゃは表面にされた加工と相まって前後感をわからなくさせてますね。反射もあるので見る位置によっても印象が変わりそう。
大北:あーなるほど、前後感。抽象絵画の見方の前回ではそういうところも鑑賞ポイントでしたね。
ミニマルアートから離れた色
塚田:それと楕円形の置き方も結構面白いなって思って。わざわざ手前にせり出す必要があるのかなって。
大北:たしかにそうですね! この楕円形は一応は台座ってことですよね。
塚田:そうですね。
大北:なのに赤いのは飛び出ちゃってる。
塚田:奥の人型の平面性的な形に対して手前っていう三次元的な要素を対比的に組み合わせる狙いなんじゃないかな?
大北:奥の方は、すごい平面にこだわって、手前はぐわーって前に来てるんだ、なるほどなー。
塚田:全体的に見ると奥にあんなペラペラな形があると感じないような、動きに満ちた作品になっている。そういう狙いを、3つの台を組み合わせることで目指してたんじゃないかなと。
大北:飛び出す系だ。
塚田:そう。ここだけ赤にしてるのも、全部青にするより印象的にできますし、手前への意識を感じます。
大北:勇気が要りそうですよね。青でいいでしょってなるところを。
塚田:特にミニマルアートってストイックなんで単色だったりしますんで。ミニマルの影響の後の時代の作品ではあるんですけど。でもだからこそ、こんな大胆な決断もできるんじゃないでしょうか。
大北:今までのミニマルアートのおれだったら青単色でいってたけど、もうこれからは赤も入れてくぞと。なるほど。たしかに楕円形が2個平面で来て、手前で1個急に立体になるのも唐突だし。
塚田:しかも柵から飛び出さんばかりの。バリアフリーの観点からすると少し危ない気すらします。
大北:じゃあこの手前の楕円形はミニマルアートのその後の展開そのものだ。
塚田:僕が思うに、やっぱりこれだけせり出しちゃったっていうのは福嶋さんが奥の壁との距離を絶対譲れなかったと思うんですよ。だって壁にぴったり付けたら前は柵を飛び出さずに済みそうじゃないですか。
大北:もし寸法聞いて柵を作ったんだったら、駅としてはここに収めろやって思うでしょうね(笑)。でもそうやって頑張っていただいたおかげで我々は前に出てるのか後ろにあるのかわからない絶妙な距離感を味わえるわけですね。
塚田:そういうなんか変だなっていうところから考えを巡らすと、作品鑑賞のとっかかりになるので、いろんな作品を見るときに、解釈の糸口になりますよね。
大北:そうですね。
大北:ああ、だんだん面白くなってきました。我々がこれを見ている間、道行くみなさんもけっこうこれ見てましたね。
塚田:見てる人がいるとね。フェイマスアーティストの作品なのかなって気になってくる。
大北:僕はもう「フェイマスだよ」って言ってやります。
美術評論家の塚田(左)とコントを書く大北(右)がお送りしました
DOORS
大北栄人
ユーモアの舞台"明日のアー"主宰 / ライター
デイリーポータルZをはじめおもしろ系記事を書くライターとして活動し、2015年よりコントの舞台明日のアーを主宰する。団体名の「明日の」は現在はパブリックアートでもある『明日の神話』から。監督した映像作品でしたまちコメディ大賞2017グランプリを受賞。塚田とはパブリックアートをめぐる記事で知り合う。
DOORS
塚田優
評論家
評論家。1988年生まれ。アニメーション、イラストレーション、美術の領域を中心に執筆活動等を行う。共著に『グラフィックデザイン・ブックガイド 文字・イメージ・思考の探究のために』(グラフィック社、2022)など。 写真 / 若林亮二
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