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2026.03.25

【前編】描きたいのは「パン以上」のものを感じるパン / 連載「作家のB面」 Vol.40 川内理香子

Text / Yu Ikeo
Photo / Kyouhei Yamamoto
Edit / Eisuke Onda
Illustration / sigo_kun

アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼/彼女らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて話を深掘りする。

食という行為への関心から、食べ物がモチーフとして登場する作品も多い川内理香子さん。お話を聞くにあたって待ち合わせたのは、川内さんが個人的に気に入っているという九品仏のベーカリー〈Comme'N TOKYO 本店〉。個性豊かなパンの中から気になるパンを選んでもらい、それら造形に惹かれる理由や、その根底にある身体や食をめぐる問いについてうかがった。

四十人目の作家

川内理香子

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「体」という根源的なテーマを出発点に、人の身体や食、神話などをモチーフにした作品を制作する。ドローイングをはじめ、油彩を塗り重ねた層を引っ掻くように描くペインティング、針金、ネオン管、粘土などを用いた立体作品など、メディアを横断した作品表現を行う。

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写真左から、《Tower》(2024,oil on canvas, 1303 × 970 mm)、《Being able to relax with you》(2023, watercolor and pencil on paper, 410 × 318 mm)©Rikako KAWAUCHI, courtesy of the artist and WAITINGROOM 

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Solo Exhibition "The shape of water hardens into stone." (2025, Kurobe City Art Museum, Toyama) installation view, Photo by Shintaro Yamanaka (Qsyum!) ©Rikako KAWAUCHI, courtesy of the artist and WAITINGROOM, Photo by Shintaro Yamanaka (Qsyum!) 

 

パンという固定概念を取り払ってみる

九品仏のベーカリー〈Comme'N TOKYO 本店〉で待ち合わせ。店内でパンを選びながら取材スタート

――作品のモチーフとしてもよく登場するパンですが、パンに目を向けるようになったのはいつ頃からですか?

シンプルに昔からパンが好きだからというのもありますが、もともと人間の身体や食べるという行為に関心を寄せてきたので、そこから思考が広がっていった部分が大きいです。なにより、パンの形って有機的ですよね。形が決められているようで決められていない、というのがすごくおもしろいなと思っていて。

色や形や膨らみ方など、その日の天候だったり作る人の手の癖だったり、様々な環境に委ねられている部分が大きいですよね。それらが表れているパンが、私は気になります。パンなんだけども、パン以上のものがそこに感じられてハッとすることがよくあって。例えばそれは、身体の一部だったり、臓器的な部分だったり。パンに別の何かを感じてしまうんです。そういうパンに出合った時に、描きたいなと思いますね。パンという固定観念を取り払い、それ自体をありのままに見られるようにしてくれる、というか。そういう形が気になるパンが、今日はたくさんありました。

――パンを観察対象にされているのが新鮮です。パンの見方が変わりそうです。

私の中では、食べるパンと制作のモチーフにするパンは全く別ものです。普段は、柔らかいパンや甘いパンが好きで、朝食も基本はふわふわの食パンと決めているくらいなのですが、制作目線になると有機的な形が見られるハード系のパンの方が好きなんです。

お店はオープンキッチンになっており、パンをこね、焼く様子も眺めることもできる

川内さんが選定中のパン

ーーComme'N TOKYOさんへの来店は2度目だそうですが、改めてどうでしたか?

やっぱりComme'N TOKYOさんのパンは造形がおもしろいですよね。どのパン屋さんでも見られるスタンダードな形というのがあると思いますが、Comme'N TOKYOさんの場合は、そういう定番のパンの形にも創意工夫があるように感じます。今日気になった中でもこの月みたいな形をしたパン(ジンジャーカマンベール)は、この部分にチーズを入れるデザインは珍しいですし、このパン・コンプレも、ここまでこんもり膨らんでいるのは印象的です。

今回購入したパン。写真左上から時計回りにクロワッサン、パン・ドゥ、黒こしょうとチーズ、ねぎパン、ジンジャーカマンベール、バゲット、ナッツ、中央がパン・コンプレ

また、厨房がオープンになっているので、職人さんたちがパンを作っているところが見えるのも、他にはなかなかないですよね。焼き上がったパンは色も形も様々なのに、生地の段階ではどれもが白く柔らかい状態で。私は普段からパンと人間の身体に通じるものを感じているのですが、今日は一層そのことを強く感じました。

――作品にはプレッツェルがモチーフとしてよく登場しますが、その理由も造形にあるのでしょうか。

そうですね。プレッツェルは、肘や膝などの人体の一部を感じやすい形だから好きというのもありますが、それ以上にプレッツェルのあの形を大事にしたいという思いがあります。私は初め、2本の棒が組み合わさってできたものだと思っていたのですが、調べてみると実は1本の棒からあの形ができていることが分かり、衝撃だったんですよ。二つのものじゃなかったの?って。もともと自分の中に、二つなのか1つなのか、という問題意識が大きなものとしてあって。プレッツェルはそうした問題を象徴する存在として、私にとって重要なモチーフなんです。

《Pretzel》(2025, oil on canvas, 530 × 455 mm)©Rikako KAWAUCHI, courtesy of the artist and WAITINGROOM

《Pretzel》(2025, watercolor and pencil on paper, 455 × 380 mm)©Rikako KAWAUCHI, courtesy of the artist and WAITINGROOM

《Pretzel》(2023, stone, 70 × 220 × 220 mm)©Rikako KAWAUCHI, courtesy of the artist and WAITINGROOM

 

二つなのか、一つなのか

――おもしろい問題意識ですね。もう少し詳しく教えてもらえますか?

今思い返せば、もう物心ついた時から、そうした部分に漠然と居心地の悪さを感じていたように思います。例えば、身体と思考。怪我をした時とか、具合の悪い時などをイメージすると分かりやすいと思います。身体のどこか、少しでもいつもと違う部分があると、突然そこを意識するようになるじゃないですか。それまでは忘れていた身体の一部が、急に何かが重くのしかかってくるように感じられる。そうした時に、身体と思考は分離しているように感じられたり、実はどこまでもつながっているように感じられたりと、両者の関係性が流動的で、不透明なものだと気付かされます。

食べることもそうです。私は何かを食べてお腹がいっぱいになると、身体の生々しい重さに意識をもっていかれ、それまでしていたような自由な思考ができなくなってしまう、ということがよくあります。この世に生きるという点では、思考よりも身体が大前提にあります。だけれども、自分というものを考えた時に、先に頭に浮かんでくるのは思考的な部分の方なんです。そして、それに相反するものとして身体があるように感じてしまう。一体これはどういうことなんだろう、と。そういう身体と思考の狭間について、ずっと考えています。

――それは根源的な問題ですね。二分法的な思考では解決出来なさそうです。

そうなんです。さらにその思考と身体の問題は、自己と他者にも置き換えられるなと思ってもいます。自分の思考に相反するものとして身体があるとすると、ではこの身体は自分にとっての他者なのか、という問いが浮上してきて、その境目も不透明になってくる。私にとって食べることは、昔からそうした問題を突きつけてくる行為のように思います。

――川内さんにとっては、食べることが身体的にも精神的にも大きな問題だというのがわかりました。

食べることは普段からすごく気になってしまうところで。食事の仕方や内容が普段と違うと、身体がいつもと違う状態になってしまい、それはやっぱり自分にとってあんまり居心地が良くないんです。なので、普段の食生活では結構同じものを食べていますね。食事会のように、決められた時間の中で、周りの状況に合わせて食べる、といったことも絶対できません。自分が食べたいなと思うタイミングで好きなものを好きなように食べるのでないと、食べることができない。それは制作のためというわけでもないし、それをするから良い絵が描ける、というわけでもありません。普段から身体の問題について考えを深める中で、そこに深く関わる食も、自分の中で大きなテーマになっていったように思います。

 

身体と食に根ざした神話

――川内さんの作品には神話をモチーフにしたものも多いですが、そこでも食べ物がよく登場しますね。

人類学者クロード・レヴィ=ストロースの著作『神話論理』を読んだことがきっかけで、神話をモチーフにした作品を制作するようになりました。レヴィ=ストロースが南アメリカやアフリカの神話を分析したものです。そこに登場する神話には、トウモロコシが人間の女性になるという話がとても多かったんです。もともと食べ物から人が出来上がるというのが自分の考えと共鳴していたこともあり、このことはとても印象に残りました。旧約聖書だと、イブはアダムのあばら骨から生まれたことになっていますが、そうしたニュアンスで、それらの神話では、女性はトウモロコシからできていました。トウモロコシに鹿の皮をかけて、その中に誰かが息を吹きかけて風を通すと人間の女が出来上がるなどという、その方法は様々ですが。

――言葉をもたない人も多い世界で、口承文化である神話の役目を考えると、出てくるモチーフも部族にとっては重要な存在だったんだろうと思います。

レヴィ=ストロースによると、神話のモチーフには隠された意味があり、それらの意味の整合性によって物語が成り立っている、と。さらにその裏の意味は、全て身体や食に根ざしたものである、と彼は説いています。神話ではその地域の自然が、身体を元にできていることも多いです。例えば、突然人間の手足が胴体を離れて星になり、それが北極星になり、やがてその地域の季節を表す存在になった、という描写などです。他にも人間の血肉がどこどこの崖になった、というように、その地域の人々を取り巻く自然環境が身体のパーツからできているんです。

《inside the body is like a forest inside the forest is like a body》(2024, fabric and threads on wooden frame, 1167 × 910mm) ©Rikako KAWAUCHI, courtesy of the artist and WAITINGROOM

――自然が人になったり、人が自然になったり。川内さんの「二つか一つか」の問題は、それら神話においても考え甲斐がありそうです。

その意味では、料理の火もひじょうに興味深いです。肉や魚などを焼くと、腐りにくくなり、人が食べられる期間を延ばすことができる。人の手が入ることで、自然の時間を変えることができる、と言うこともできます。レヴィ=ストロースは人間の文化のすべての始まりは料理の火にある、とも言っているのですが、その意味がよく理解できます。私は、パンという存在もそこに通じるように感じます。

――確かに、生地を焼き上げることで日持ちするパンになります。

そうですね。加えて、そもそもパンを作るには生地を発酵させる工程がありますよね。その発酵はイーストを入れるなど、人間の操作や調整なしに起きないことではありますが、発酵自体は自然な現象です。発酵がどのような結果を生むかは、人はコントロールしきれません。パンはそうした自然性と人間文化の狭間にあって、それら両方の要素をもっている。さらに、それらのバランスがひじょうに良く取れた存在として考えられると思います。

SHOP DATE

〈Comme'N TOKYO(コムン トウキョウ)本店〉

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九品仏に本店を構え、現在麻布台ヒルズ店と2店舗で展開するベーカリー。素材の魅⼒を最⼤限に引き出す製法と、⾃由な発想によるパン作りを⼤切にしており、食パンやバゲット、クロワッサン、惣菜パンなど100種類以上のオリジナルレシピを持ち、店頭には約60種類ののパンが並ぶ。世界レベルの技術をベースにしながらも、「日本人にとっておいしいパン」を追求した味わいで、多くのパン好きに親しまれている。

■住所
東京都世田谷区奥沢7-18-5 1F

■営業時間
7:00~18:00(年中無休)

詳細はこちら

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後編はこちら!

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【後編】描くことで自分の暗闇に光を当てる。身体と思考を線に乗せて / 連載「作家のB面」 Vol.40 川内理香子

  • #川内理香子 #連載

Information

個展『Drift of Water』

■会期
2026年3月14日(土)~4月26日(日)

■会場
CAPSULE(東京都世田谷区池尻2-7-12 B1F)

詳細はこちら

個展『The Blade of the Forest Within』

■会期
2026年4月3日(金)~5月6日(水)

■会場
Gana Art Hannam / Gana Art Namsan(ソウル、韓国)

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ARTIST

川内理香子

アーティスト

1990年東京生まれ。2015年に多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻を卒業、同大学の大学院を修了。在学時に「第1回CAF ART AWARD 2014」や「ART IN THE OFFICE 2014」で選ばれるほか、「第9回shiseido art egg」(2015)を史上最年少で受賞。近年の主な個展に『Humans and Tigers』(WAITINGROOM/東京)、『The shape of water hardens into stone.」(黒部市美術館/富山)ほか、ドイツ、イタリア、台湾など国内外で発表の場を広げている。

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