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ESSAY

2024.09.20

人間とは、私自身とは何か。問いの先にはいつも舟越桂がいた。 / 展覧会「舟越桂 森へ行く日」レポート

Text / Daisuke Watanuki
Photo / Naoko Aono

楠を素材とし彩色を施した半身像に大理石の目をはめ込んだスタイルによって、具象彫刻の新たな道を切り拓いた舟越桂。開催中の展覧会「舟越桂 森へ行く日」は、彫刻の森美術館の開館55周年を記念して企画されたもの。生涯を通じて人間とは何かを問い続けた作家の作品の変遷と、その創作の源となる視線に迫る展覧会となっている。

注目を集める展示の様子を、ライター・綿貫大介さんが鑑賞し、レポートする。本の装丁をはじめ、日常の一遍に佇む舟越桂の作品たち。あらためて実際の作品と対峙することで見えてきたものとは。

大江健三郎、須賀敦子、辻仁成、天童荒太、堀田善衛、筒井康隆……これらの作家に共通する人物の名前を挙げよ。いきなりクイズから始めます。でも、もし本屋で該当する本がずらっと並んでいたら、表紙で答えはすぐにわかると思う。答えはそう、舟越桂。

特に天童荒太は舟越のカバーの代表として挙がる筆頭作家だけど、私のファースト舟越桂は、辻仁成だった。19歳のときに、友達が誕生日プレゼントで新潮文庫の『海峡の光』をくれたのだ。どうしてこの作品をくれたんだ? とは思った。でも、あの多感な時期に読めて本当によかったし、「お前はお前らしさを見つけて、強くならなければ駄目だ」という台詞の記憶とともに、その本は今でも大事に取ってある。

表紙に描かれていたのは青灰色の背景に、まっすぐに遠くをまなざす人物の横顔。その後頭部には、もう一つの顔がある。この不思議な構図の作品は舟越桂の《雪のにおい》だった。海峡に揺らめく、人生の暗流を描く本作にこれ以上ぴったりなカバー装画はないと思う。自分自身と向き合う時、私はいつも《雪のにおい》を思い出す。

人間とは、生きるとは何かを問うことが本質の文学と、舟越の作品がマッチするのはある意味で当然だといえる。だって舟越の作品自体が、そのメッセージを発しているのだから。2024年、私は彫刻の森美術館の「舟越桂 森へ行く⽇」を訪れた。本展は、同館の開館55周年を記念し、昨年3月に舟越本人に依頼して企画されたもの。今年、舟越の逝去を受け、最期までこの展覧会の実現を望み励んでいた作家本人の意思と、遺族の意向を尊重して実現することとなったという。

展示風景は内覧会時に撮影

会場に入ると最初に行き着くのが、舟越のアトリエを再現した展示室。実際に使用していた工具や愛用品のほか、代表作《妻の肖像》も置かれていた。壁一面、机一面に置かれたさまざまな制作道具は、きっと実際のアトリエでは作業の際にうまく手に届くように配置されていたのだろう。アトリエは程よく汚れて雑多になるほど居心地が良くなって、その人のものになる。舟越本人がいる様を容易に想像できる、美しい空間だった。壁に貼られたメモの数々も、じっくりと確認したくなる。

右《山と水の間に》1998年 楠に彩色、大理石 85×51×33cm 個人蔵

次の展示室では、「人間とは何か」をテーマに、舟越の人間観を反映した作品が集められている。なかでも《山と水の間に》は目を引く。体の中に山を取り入れるという発想はどこからくるのだろう。眼の前の対象と一つになる、気づいたら世界と一つになるという体感だろうか。人間の想像力は、巨大な山をも飲み込めるのか。

《あの頃のボールをうら返した。》2019年 革、糸、楠、バネ、水彩、鉛筆 67×47×42㎝ Photo: 今井智己

一変してとなりの展示室は、童心に帰るような空間に。舟越が家族のためにつくったおもちゃや、創作のイメージデッサンなどが飾られていた展示室内では、いたるところから鑑賞者の「かわいい」の声が漏れていた。

階段を登り、メインの展示室へ。ここでは、先ほどの《山と水の間に》同様、舟越作品の一つの特徴ともいえる、異形化された不思議な人物彫刻の数々が展示されていた。

入口近くにあるのが《水に映る月蝕》。腹部がぷっくりふくれた裸体の背中には、左右逆となった手が翼のように打ち付けられている。

中央《水に映る月蝕》2003年 楠に彩色、大理石 90×55×47cm 作家蔵

作品から感じる浮遊感は、この手のおかげだろうか。観ていると、現実から解き放たれた、どこか人間の祈りのようなものを感じる。私は背後にまわり、作品と同じ手の形をつくってみた。人間がこれをするには、左右の腕をクロスしないといけない。するとあることに気づいた。自分の身体で再現すると、その両腕は、自分自身を抱きしめている形になるのだ。舟越がそこまで見越していたかはわからない。しかし、私は作品の後ろで自分自身を抱きしめながら、自分自身に何かを問いかけ、そして何かを祈りたくなった。その何かが何であるかは、秘密。私は自分の魂と内なる会話をした。

《遠い手のスフィンクス》 2006年 楠に彩色、大理石、革、鉄 110×90×40.5cm 高橋龍太郎コレクション蔵 Photo: 内田芳孝 © Katsura Funakoshi Courtesy of Nishimura Gallery

この展示室には、舟越の代表作群であるスフィンクスシリーズも展示されている。動物と人間が混ざっている姿がスフィンクスであると解釈すれば、さきほどの山と同様、身体に他者を取り込むことで生まれた作品ということになるのだろうか。スフィンクスのもう一つの特徴としては、両性具有であること。半人半獣、雌雄同体のスフィンクスは「人間とはなにか」という問いをますます掻き立てる。

手前《戦争をみるスフィンクスⅡ》2006年 楠に彩色、大理石、革 97×57.5×34cm 個人蔵

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展覧会は11月4日まで!

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  • #連載 #展覧会 #アート備忘録

特に《戦争をみるスフィンクスⅡ》は見入ってしまった。制作時はイラク戦争のさなかだったという。ここまでストレートに苦虫を噛み潰し、怒りと悲しみを顔で表現するとは。歯を食いしばり、あふれる涙を必死に堪えながら、何かを訴えかけているようにも見える。怒りに含まれた悲哀という意味では、般若の面と同質なのかもしれない。この顔は、単に遠い国から遠い戦争を嘆く顔ではないと思う。踏まれる側の苦しみがリアルに感じられる。

この時期、日本は「人道復興支援」の名の下に自衛隊を派遣していた。つまり日本はこの戦争に加担していた。本作は、イラク戦争への支持・協力を表明する政府に、芸術家として反対の意を示す作品でもあったのだと思う。そして現在もウクライナ侵攻、ガザ侵攻など世界で戦争は続いている。それも日本は無関係ではいられない。そんな世界情勢の中、この作品が展示され、私たちと対峙することにも大きな意味が生まれている。これはしっかりと対峙して、何かを持ち帰らなければいけない作品だった。

手前《冬の本》1988年 楠に彩色、大理石 76×36×24cm 作家蔵/奥《砂と街と》1986年 楠に彩色、大理石 81×56.5×36cm 個人蔵

舟越の作品を眼の前にすると、どの角度で見つめても作品と目が合わないことに気づく。白い大理石を丸く削り、黒目の部分をクリアにコーティング、艶出ししてはめ込まれたその目は、あえて外斜視ぎみになっている。作品はいつも、観客ではなくさらに遠いところを見つめているよう。自分自身の何かを見透かされているようにも感じる。

作品が見つめているであろう、一番遠くにあるものはなんだろう。想像すると、きっとそれは自分自身の内側なんだと思う。作品は外を見ているようで、内面を見つめている。私たちもそうやって、自分自身を探求している。そしてそれは、広い世界を知ることにつながる。そう思うと、やっぱり私たちの中にも山はあるし、動物はいるし、男も女もいるんだよな。今までみてきた作品たちを思い出しながら、私は自分自身の中にある物語を呼び起こしていた。

順路をたどり、最初の展示室に戻ってきた。最後に出会う作品は、舟越が病室の窓から見える雲をきっかけに手がけた「立てかけ風景画」のシリーズ。病院の食事として用意されていたヨーグルトのカップに立てかけられた、厚紙のドローイングだ。芸術家は最期まで作品を生み出すことをやめない。その創作意欲に驚かされた。窓の外、彫刻の森の自然の風景と作品が溶け合っているところもいい。舟越もこうやって病室から外をみつめていたのだろうか。

また、タイミングを同じくして、本館の向かいの施設では「彫刻の森美術館 名作コレクション+舟越桂選」と題し、彫刻の森美術館が所蔵する名作の数々と、舟越が選出した現代の作家5名(三木俊治、三沢厚彦、杉戸洋、名和晃平、保井智貴)の作品が合わせて展示されている。入口には三沢厚彦による、立ち上がったキメラの作品《Animal 2023-01》が。ヒョウ柄の胴体、ライオンの頭、蛇、翼など相互理解できそうもない者同士が一つのボディーを共有している姿は、舟越のスフィンクスと近い発想なのかもしれない。

そして舟越自身も制作に関わった作品も。2017年に松濤美術館で開催された「三沢厚彦 アニマルハウス 謎の館」展で、三沢がゲスト作家に舟越、小林正人、杉戸洋、浅田政志を招き、会期中に共同で制作した、《オカピのいる場所》も展示されている。舟越はオカピが好きで、この作品の制作にもとても熱心だったとか。オカピの腹部のあたりをよく見ると、舟越によるスケッチが描かれている。こちらもじっくり観察してみてほしい。

舟越の作品は、鏡よりも如実に鑑賞者自身を映してくる。しかもそれは外面ではなく、内面のさらに内奥を。対峙すると、人間とは、私自身とは何かの気付きをいつも与えてくれる。そういえば『海峡の光』の一節にこんな表現があったことを思い出した。「静が静と重なり、(中略)私が私と溶け合い、そして世界は世界と一つになる」。まさに舟越の作品そのものを言い表している気がした。

筆者私物

Information

『彫刻の森美術館 開館55周年記念「舟越桂 森へ行く日」』

会期:2024年7月26日(金)〜 11月4日(月・振休)
会場:彫刻の森美術館 本館ギャラリー
住所: 神奈川県⾜柄下郡箱根町ニノ平1121
開館時間:9:00 〜 17:00 (入館は閉館の30分前まで) ※会期中無休
公式サイトはこちら

DOORS

綿貫大介

テレビっ子・編集者・ライター

ユースカルチャー誌編集部等を経て独立。著書に平成のドラマ史と著者自身のドラマを重ね合わせて綴った『ボクたちのドラマシリーズ』などがある。また、雑誌『Hanako』でテレビに関する連載も執筆中。

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