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- 「ときめきを探しに街へ」 / わたしの余白時間。#1 文筆家・甲斐みのり
ESSAY
2023.08.11
「ときめきを探しに街へ」 / わたしの余白時間。#1 文筆家・甲斐みのり
Text&Edit / Eisuke Onda
慌ただしい日々を過ごす現代人。仕事や家事から解放された、「余白」のある時間を皆さんはどうお過ごしだろうか?
なにか美しいものを観たり、素敵な物語に感動したり、美味しいものを食べたり。過ごし方はいろいろある。今回は様々な人たちにアートにまつわる「余白時間」を聞いてきた。
最初に登場するのは文筆家の甲斐みのりさん。心ときめく喫茶店や名建築、パンやお菓子などを自著や、雑誌、WEBサイトなどで紹介している。東京の風情があって素敵な場所を知り尽くす甲斐さんだけど、慌ただしい毎日を送っているのだとか。そんな生活の中で、必ず決めている「余白」の過ごし方があった。
「街の中はときめきに溢れています」
取材に執筆、打ち合わせ......、私も日々やることに追われて過ごしています。締切で頭がいっぱいのときは、夢の中にまでパソコンのキーボードが出てくることもあるほどで(笑)。
そんな忙しい日常の中でも必ず決めていることがあるんです。私は心配性ゆえ、綿密に段取りを組むタイプ、たいていスケジュール帳は2ヶ月先までぎっしり予定が書き込まれています。それでも、週に1日は何も書き込まない日を作るように意識して心がけています。それが私にとっての「余白」です。
じゃあ、その真っ白な日に何をするのか。この日だけは心から自由になれるので、予定も当日の朝まで決めずにふらっと街へと探訪に繰り出します。
街の中は私の“好き”で溢れています。名建築を見たり、喫茶店に行ったり、パンやおやつを買ったり......あらゆる好きなものを一日中浴びて、ときめきで満たしていきます。
そんなわけで、予定がないから一日何もしないというのは私の場合ほとんどなくて、むしろ、たくさん出歩き、時間が許す限りいろいろなものに出会うようにしています。それが、すべての原動力になって、疲れも癒えるし、夢中になれることが見つかれば、また新たなテーマを発見できるかもしれない。余白の日はもう楽しくって、ずっと浮き足立っています。
〈東京都庭園美術館〉の本館、南面外観
最近は大好きな目黒の〈東京都庭園美術館〉に行きました。一年に一回は必ず行くようにしている場所で、私自身の日常生活で凝り固まっていた考えを広げてくれる場所だと、訪れるたび感じています。
〈東京都庭園美術館〉の本館、大食堂
〈東京都庭園美術館〉の本館、妃殿下居間
1933年に建てられた、”アールデコの館”とも呼ばれるこの場所は、美術館になる前は朝香宮鳩彦王の邸宅でした。館内の各部屋には豪華絢爛な装飾がちりばめられていますが、寝室は意外にも慎ましやかでこぢんまりとしていたりして。皇族の暮らしや、ここで過ごした多くの人たちのありようを想像すると、華やかさだけではなくて、そこにはもっと色々な思いが根付いていたのだろうというのが伝わってきます。その時間が自然とホッとできるんです。
美術館でアートを観た後、アールデコのデザインをあしらった素敵なものがたくさん並ぶミュージアムショップで買い物もして、庭園を歩いて、名建築の記憶に思いを馳せる。ゆったりとした時間を過ごしながら純粋なときめきを吸収していると、心が解放されていくのを実感しますね。
〈東京都庭園美術館〉の西洋庭園
庭園美術館に行った後は、〈ホテル雅叙園東京〉の百段階段に行くのも、〈旧公衆衛生院〉のカフェでお茶をするのもおすすめですが、今回は渋谷にある〈名曲喫茶ライオン〉まで歩きました。私、けっこう東京の街を歩くんですよ、山手線2〜3駅くらいは平気で歩きます(笑)。
ここは昭和元年に生まれたクラシック音楽が流れる名曲喫茶。昭和20年の東京大空襲で全焼した建物を、昭和25年に創業当時と同じデザインで再建して以来、この場所に変わらずあり続けています。
店内に入ると、巨大スピーカーから流れるクラシック音楽に、全てのお客さんが一心に耳を傾けています。みんな他人同士なのだけど、この空間を共有することで一体感が生まれていて、静かなフェスに来たみたいなんです。
仄暗く青い光に照らされた2階の席が、私のお気に入り。周囲のお客さんたちを見回しながら、一人ひとりがそれぞれの物語を持って、この場所にいるんだろうなと考える時間が好きです。
その日はちょうど海外からの観光客が多く店を訪れていたのですが、20代くらいのカップルたちは、なぜこの店にたどり着いたんだろうと思いを馳せたり。私と同じ年くらいの方は、ここの常連さんかなと想像したり。喫茶店ではあるけれど、ひとつの場所にいながらどんどん世界が広がっていくところに、美術館に近い感覚を覚えます。
例えば絵を観たときには、何かを感じたり、想像したり、自分なりに作品からあらゆることがらを見出したりするじゃないですか。喫茶店にいても、そこにいる一人ひとりがアート作品と同じように見えてきます。
普段仕事をしていると、自分の内側に気持ちが向いてしまって、不機嫌になったり、やさぐれてしまうこともあります。でも、余白の日に訪れた場所で、かつてそこで過ごした人や、今を生きている人たちの物語に触れてみると、きっと誰もがそれぞれの想いを抱えながら、そしてときにその思いと戦いながら、生き抜いていると思えてくるんです。
きっと、私が余白の日を楽しんでいるのと同じように、みんなも暮らしの中で、美しいもの観たり、美味しいものを食べたりしながら、一人ひとりが何かを乗り越えて、一歩ずつ前に進んでいるのかもしれない。
アートの前で、名建築の中で、喫茶店でのひとときで、街の中で。だれかの生きた記憶に触れることで、自分もまた前に進む力を得られるのです。
DOORS
甲斐みのり
文筆家
静岡県生まれ。日本文藝家協会会員。大阪芸術大学文芸学科卒業。旅、散歩、お菓子、地元パン、手みやげ、クラシックホテルや建築、雑貨や暮らしなどを主な題材に、書籍、雑誌、webなどに執筆。食・店・風景・人、その土地ならではの魅力を再発見するのが得意。地方自治体の観光案内パンフレットの制作や、講演活動もおこなう。
volume 06
「余白」から見えるもの
どこか遠くに行きたくなったり、
いつもと違うことがしてみたくなったり。
自然がいきいきと輝き、長い休みがとりやすい夏は
そんな季節かもしれません。
飛び交う情報の慌ただしさに慣れ、
ものごとの効率の良さを求められるようになって久しい日常ですが、
視点を少しだけずらせば、別の時間軸や空間の広さが存在しています。
いつもより少しだけ速度を落として、
自分の心やからだの声に耳を澄ませるアートに触れる 。
喧騒から離れて、自然のなかに身を置く。
リトリートを体験してみる。
自然がもつリズムに心やからだを委ねてみる……。
「余白」を取り入れた先に、自分や世界にとっての
自然なあり方が見つかるかもしれません。
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