- ARTICLES
- 「美術館は生まれ直しに行く場所」脳科学者・中野信子×3時のヒロイン・福田麻貴のアート体験から紐解く、強度のあるアートとその魅力
INTERVIEW
2025.09.03
「美術館は生まれ直しに行く場所」脳科学者・中野信子×3時のヒロイン・福田麻貴のアート体験から紐解く、強度のあるアートとその魅力
Photo / Madoka Akiyama
Edit / Miki Osanai & Quishin
Hair&Makeup / Shiho Kato
Stylist / Erika Abe
森美術館理事を務め、現代アートへの造詣も深い脳科学者の中野信子さんと、お笑いトリオ・3時のヒロインの頭脳としてネタづくりを担当している福田麻貴さん。多忙なふたりですが、実は、時間を縫って一緒に美術館に出かける仲なのだとか。
「美術館に行く」という行為は、私たちの人生にどんな影響を与えるのだろう?
福田さんが、ふたりで観たアート作品から垣間見える作家の人間性に惹かれたことや、イタリアのウフィツィ美術館で作品を見たとき“怖い“という感覚になったことを明かすと、中野さんは、強度のあるアートを見たときの圧倒されるような感覚や自分のあり方を考えさせられるような体験は悪いものではなく、自分の中の「当たり前」が揺さぶられているサインなのだと言います。
ふたりが美術館で感じてきたことや、通う理由を聞いていくと、共に、自分と出会い直し、そして「生まれ直し」に行くような場所になっていることが見えてきました。
印象に残っているのは「つくる工程が自分とは真逆」と感じた絵
──そもそもおふたりは、どのようなきっかけで仲良くなったのでしょうか?
福田麻貴(以下、福田):『ホンマでっか⁉︎TV』(フジテレビ系列)での共演からですよね。もともと私が中野先生のファンで、「好きだったんです〜!」と声をかけて。
中野信子(以下、中野):うれしかったです。人を笑わせる仕事って、分析力や、今何を言うべきか言わないべきかを判断する頭のよさが必要でしょう? 3時のヒロインは、あるとき「もう容姿を茶化すネタをやりません!」って宣言もしたけど、麻貴ちゃんからは知性だけでなくそういう潔さも感じて、いいなと思っていて。
福田:ありがとうございます。今、めっちゃいい気分です(笑)。
中野:だからはじめてプライベートでご一緒するとなったときに、「ただごはんに行くのではもったいない」と、美術館の展覧会にお誘いしました。
福田:それ以来、先生は会うたびにアートフェアのチラシを大量にファイルに入れて渡してくれますよね。

──一緒に行った展覧会で印象に残っているものはありますか?
福田:はじめて一緒に行ったのは、NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)でのVRを使った体験型の展示です。その後も森アーツセンターギャラリーの「葛飾北斎展」やBunkamuraザ・ミュージアムで開催されたポーラ美術館の所蔵品展とか、いろいろ行きましたよね。
なかでも印象に残っているのは、森美術館で開催された『地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング』展で観たエレン・アルトフェストの作品です。
福田:中野先生が、「これは森の地面の絵で、毎日陽の当たる時間だけそこに出かけていって、1年かけて描き上げられた作品」と教えてくださいました。絵の緻密さだけでなく、同じことをコツコツ繰り返す人間性にも惹かれました。
中野:もう修行だよね、これは。
福田:自分とは真逆の人間すぎて! 私はネタや本を書くときは、締め切り前の一日で集中して仕上げるタイプなので(笑)。

中野:この作品をつくる過程には、セラピーの側面があったかもしれないと、私は考えています。かつて精神分析の世界では、夢やトラウマを語ることで病を克服していくというのが主流でしたが、精神科医のフィリップ・ピネルが提唱した「作業療法」はその対局にあり、「人が無心で作業していると、勝手に癒される」という考えを示しました。料理をする、粘土をいじる、ガーデニング、ピアノを弾く、なんかもそう。
福田:わかる気がします。
中野:「作品は作品として見せる」というのが近代以前の美術だとしたら、現代アートは、作家が自分自身を癒やしていく作業を見せてくれる面もあると思います。麻貴ちゃんが「作家の人間性にも惹かれる」と感じたのは、プロセスにあるものを読み取ることができ、そういった気持ちをそそられたのかなと。
福田:先生と一緒に美術館に行くと、いつもこんな感じで話してくれるので、アートの見え方が変わって、本当に楽しい。
“わからないアート”こそ、だれかと観るのが楽しい

──よく一緒に美術館に行かれるおふたりですが、ひとりでアートを観るときと誰かと観るときとでは、何か違いはありますか?
中野:現代アートに関しては、特に見方が決まっているわけではないので、誰かと一緒に観たほうがいいと思っています。「よくわからない」って感想を頻繁に聞きますが、誰かと一緒に観ることで自分以外の人がその作品をどう味わうのかを知ることができて、わからないを倍楽しめる。“わからない”っていいことなんですよ。わかるものはAIがやればいいんですから。
福田:アートを観てわからないと思っても、やっぱり人は無意識にわかろうとしちゃうものなんですか?
中野:うん、わかろうとするのが楽しいし、だから多くの人は“わからない”が好き。謎解きや数独が人気なのも、そういうことだと思う。
福田:たしかに、解説を聞かなくても自分なりの答えを考えちゃうかも。この前、セザンヌが描いた妻の肖像画を観たんですよ。そのとき、妻がボーッとつまんなそうに遠くの方を見てるように見えて、「うわぁ、めっちゃ長い時間ここにおらされてんねやろなー」って思ったんです。あとで解説を聞いてみたら「まるでりんごを描くように妻をそこにいさせた」と言っていて、「うわっ、当たってた!」って(笑)。

福田:美術館って、それまでは敷居が高い場所のように感じていたんですけど、先生と一緒に行って楽しさを知ってからよく行くようになったんです。ひとりで答え合わせをしながら観るのも楽しいし、友人と一緒に行って「この子はここで立ち止まるんだな」とか、個性が見える瞬間も楽しいですね。解説のイヤホンをつけながら絵を観てると、なんだか映画を観ているような気分にもなれます。
“作品の強さ”を判断する脳領域は「倫理」の領域と重なっている

──脳科学者の中野先生には、「アートを観るときに私たちの脳は何を感じとって、どう働いているのか?」についても、ぜひお聞きしたいです。
福田:脳科学的に。たしかに気になります。
中野:まず、エレン・アルトフェストの作品を観たときの麻貴ちゃんのように、鑑賞者に自分自身のあり方を考える余地を与えてくれるような作品は、「強度がある」と評価されることが多いんです。そして、強度がある作品を観たときに、私たちはしばしば立っていられないような酩酊感を覚えることがあります。
福田:そういえば、去年の秋にイタリアのウフィツィ美術館に行ったとき、全部観られないまま出てしまったんですよね。過去に起こったおぞましい出来事を風刺しているような絵がいくつもあったのですが、それを描いた人とキャンバス越しにつながっていると思ったら圧倒されてしまったというか、なんだか怖くなってきて……。

ウフィツィ美術館にて(写真提供:福田麻貴)
中野:「強度がある作品」の定義は人によって異なり、具体的な実験はできないため推測でお話するのですが、「きれい/汚い」を判断する脳の領域と「強い/弱い」を判断する領域は分かれているんです。そして、作品の強さを判断する領域は、実は、その人の「倫理」を司る領域と一緒だとわかっています。
「強度がある作品」に当てられたときに酩酊感を覚えるのは、それが倫理の領域と重なっているために「自分が当たり前に信じているものは、実は正しくないかもしれない」と揺さぶられてしまうからではないかと。たとえば、ホロコーストを想起させるクリスチャン・ボルタンスキーの作品など、倫理的な問題に対してアンチテーゼを表現している作品を「強い」と感じる人は多いと思います。
福田:私、怖いものはちょっと苦手です……。
中野:強度がある作品だからといって、しんどいものを無理して観る必要はないと思う。私はそういう作品を無意識に選んで観てしまうけど、リリカルで美しい作品をつくる作家さんもたくさんいるから。
美術館は生まれ直しに行く場所。当たり前を疑うきっかけがたくさんある

──「感動」や「酩酊感」、「当たり前が揺さぶられる感覚」など、今日のお話にはアートを観ることの多様な効能がたくさん出てきました。そういった体験も含めて、おふたりにとって美術館とは、何を期待して足を運ぶ場所だと言えるでしょう?
福田:私は、美しい作品に癒やされたり、知的好奇心を刺激されたりすることを期待して足を運んでいますね。絵を観て心が震えるくらい感動することがありますが、そこには必ず共感や共鳴があると感じています。何を見て美しいと感じたのかという視点への共感もあれば、作品に向かいあう作家の孤独感に共感することもある。アートを観ると、その情熱に影響を受けて、いろんなことに対してやる気が高まります。
中野:私の場合、美術館は「生まれ直し」に行くような感覚で行く場所です。
福田:生まれ直し。どういうことですか?
中野:私たちはそれぞれDNAという設計図を持って生まれてくるけれど、誰しもがその設計図の通りの自分にはなっていなくて、環境の影響を大きく受けていますよね。なかには「女なんだからお行儀良くしなさい」とか「男なんだから家族を支えろ」とか、社会通念によって背負わされてしまうものもある。
でも、先ほど話したような「強度がある作品」の前に立つと、いったん役割を剥がされて、剥き出しの自分で鑑賞せざるをえなくなるんです。すると、「こうじゃなきゃいけない」と思わされていたものが「意外と簡単に取れるかも」と思えたりする。美術館には当たり前を疑うきっかけがたくさんあるということ。無意識に背負ってしまっていた役割をアカスリみたいに落としていくことで、自由になれると思っています。

福田:私も、芸術からしか得られない感覚や安心感があるなと感じることがあります。またセザンヌの話になっちゃうんですけど、ズトーンと心に刺さった名言があって、スマホにメモしたんです。「感動を持つ者のみが与える衝撃をあなたたちの芸術に刻みつけなさい」という言葉。弟子たちに残したものらしいんですけど。
中野:へえ、なんで刺さったんだろう。
福田:芸人がお笑い以外の、たとえばお芝居、音楽、創作などの芸術分野の活動をすると雑なイジり方をされることが多いんですけど、いつも「感受性のない人たちだなあ」と残念な気持ちになっていたんです。でもこの言葉を聞いたとき、「芸術に感動する感性を持っている人だけが芸術をつくれるんだ」としっくりきました。そういう意味で、美術館では周りには理解されない孤独感のようなものを共有できたような気持ちになることが多くて、行くといつも心が洗われます。
中野:今回、対談相手が麻貴ちゃんでよかったなと心から思うのは、私はアートとお笑いって同じ機能を持っているものだと思っているから。人は、生きるのに必要な食べ物やお金を十分に持っていたとしても、美しいと感じることも笑いもない人生だったら簡単に絶望してしまう。アートやお笑いって、明日を生き延びるためには役に立たない感じがするんだけど、なんとしてでも生き延びたいという気持ちを支えてくれるものであり、本当はいちばん大切なものなんだと思います。
DOORS

福田麻貴
お笑い芸人
1988年生まれ、大阪府出身。2017年、ゆめっち・かなでとともにお笑いトリオ「3時のヒロイン」を結成し、ツッコミとネタづくりを担当。2019年12月、『女芸人No.1決定戦 THE W』で優勝し、現在は多数のバラエティー番組に出演。近年は俳優としても活躍の場を広げている。
DOORS

中野信子
脳科学者
1975年、東京都生まれ。脳や心理学をテーマに研究し、メディア出演や執筆活動を精力的に行う。現代アートへの造詣も深く、2020年に京都芸術大学客員教授、2022年に森美術館理事に就任。東京藝術大学大学院博士後期課程で科学とアートの関係性を研究し、2025年春に修了。アート関連の書籍として、東京藝術大学美術館准教授の熊澤弘との共著で『脳から見るミュージアム アートは人を耕す』(講談社)がある。
新着記事 New articles
-
SERIES
2025.08.20
代々木公園の仮囲い谷口暁彦作品でXR空間の写真表現を見る / 連載「街中アート探訪記」Vol.43
-
INTERVIEW
2025.08.20
「SICF」が切り拓く、次世代アーティストの現在地と未来 / 受賞作家インタビュー・成山亜衣×福留春菜
-
NEWS
2025.08.19
「ART ART TOKYO」が大丸東京店で開催 / アートを楽しむ21日間!
-
SERIES
2025.08.13
プロ生活17年「私生活はバスケから離れるからこそ、コートで爆発できる」プロバスケットボール選手・西村文男の心・頭・体をリラックスさせるアート / 連載「わたしが手にしたはじめてのアート」Vol.38
-
REPORT
2025.08.13
アートを通じて「異なる感覚の行ったり来たり」を暮らしのなかで楽しむ / 展覧会「Beyond the WINDOW ―クリス智子と暮らしとアート―」レポート
-
REPORT
2025.08.06
現代アートファン必見の美術館、ディア・ビーコンへ / 広大な敷地を活用した豊かな展示空間