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2024.12.25
【前編】未来にフィルムをつないでいく、映写技師という仕事 / 連載「作家のB面」 Vol.29 志村信裕
Photo/Sakie Miura
Edit/Eisuke Onda
Illustration/sigo_kun
アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。 連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼/彼女らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて話を深掘りする。
今回訪れたのは東京・京橋にある、映画の保存・研究・公開を通して映画文化の振興をはかる、国内で唯一の国立映画専門機関、国立映画アーカイブ。この場所で待ち合わせたのは、映像を用いたインスタレーションや映画作品を手がける志村信裕さん。彼が現在の作風にいたるまでに、多大な影響を受けたという“映写技師”の仕事をテーマに話を聞いていく。
二十九人目の作家
志村信裕
身近な日用品などを撮影した映像インスタレーションや、近年ではドキュメンタリーの手法を取り入れた映画を制作し発表するアーティスト。また、地域に残された映像アーカイブを用いたプロジェクトなどにも注力している。
光を反射したビーズを撮影した映像インスタレーション《beads》(2012)
山口にかつて存在した映画館についての記憶と記録をテーマにした展覧会「Afrernote 山口市 映画館の歴史」(2023-2024) Photo: Kosuke Shiomi Courtesy of Yamaguchi Center for Arts and Media [YCAM]
同一テーマで志村さんが監督した映画《Afternote》(2024)
膨大な映画のアーカイブに心打たれて
国立映画アーカイブの建物7階に位置する常設展示で志村さんと待ち合わせ。日本映画の始まりから、サイレント、トーキー、戦時下の日本映画の状況や戦後の黄金期、アニメーション映画にまつわる資料まで、幅広く展示されている
──今回、国立映画アーカイブを撮影場所に選んだ理由を教えてください。
志村 山口情報芸術センター(YCAM)の開館20周年記念事業の一環で、山口市内の映画館の歴史を辿る展覧会と映像作品《Afternote》を制作しました。その際、山口市だけではなく、日本全国の映画館の歴史について調べるためにこの場所の常設展示を訪れました。一度では観きれないほどの情報量で、当時通っていたんです。本当に勉強になりました。
入口に展示されている映画制作会社の系譜。日本の映画伝来から始まり、日活、松竹、東宝、大映、東映などの映画会社を中心にしつつ、国内の映画会社の繁栄の様子を記したこの図を見て、「テレビ放送開始をきっかけに歴史が大きく動いている様子もわかります」と志村さん
展示エリアには当時の映像資料や映画会社が制作した宣伝ポスター、撮影機材や、映写機など、所狭しに飾られている
「《Afternote》の取材で山口の映画館の歴史を調べていたのですが、山口県出身の女優・映画監督の田中絹代の存在は、当時の山口でも絶大なものでした。ここの資料も色々と参考にしましたね」
昭和に配られていた俳優名鑑。「当時は俳優もファンレターの送り先に自宅の住所を公開していたんです.......、すごい時代ですよね。歴史を知れるという意味でも、ここに展示されたものすべて興味深いです」
──特に何が参考になりましたか?
志村 国立映画アーカイブが何に価値をおいているかを知れたことが重要だったと思います。たとえば映画館独自のプログラム(上映作品が掲載された印刷物)がしっかり展示されている。展示品として、何に価値を見出しているかがわかりますから。実際にYCAMで何を展示するかを決めるときに参考になりました。
また、この施設では100年以上も昔のフィルム映画をアーカイブしていて、申請をすれば視聴することもできます。ロシアで発見されたという戦前の日本人が撮影した記録映画を観させてもらったこともあるのですが、こんな貴重な映像が観られるのはここだけです。
「ここは僕の一番好きな場所です。16ミリのフィルム映画を上映しているブースで、上映プログラムによっては弁士・徳川夢声の活弁を聞くことができます」
映写技師として働いていた過去
──志村さんはYCAMの映画館で映写の仕事をされていたんですよね。
志村 そうです。もともと関東を中心に活動していて、当時は横浜に拠点がありました。2013年に山口県の秋吉台国際芸術村のアーティスト・イン・レジデンスに参加したのをきっかけに、YCAMにも訪れていました。僕がYCAMで最も衝撃を受けたのが、映画館が常設されていて、35mmフィルムの映写機でも上映していたこと。最先端の技術を扱うアートセンターでありながら、昔からあるフィルムで未だに映画を上映しているギャップに驚きました。必ずしも新しいものだけを求めるのではなく、古くからあるメディアを今も大事にしていることに感動して。
そのときは75歳の映写技師の方が映写していました。当時はすでに山口市には映画館がなくなっていて、最後の映画館で働いていた方がフィルム上映のときだけ映写しにきていたんです。その方がそろそろ引退したいと言っていたんですけど、後継者がいない状況で。そこで、もしよかったら僕が引き継ぎたいという話になって。
──話が急展開でびっくりしました!
志村 それまで自分は映画と関わりがなかった人生だったんですけど、関わるきっかけになるかなと思って。それを機に山口に引っ越して、映写技術を習って、YCAMで映写をやりながらアーティスト活動をしばらくしていました。
──どれくらいで習得できるものなんでしょう。
志村 最初は1、2ヶ月あれば覚えられるって言われてたんです。そんな簡単にやれるの?って僕も驚いたんですけど、もちろんそんなことはなくて(笑)。2013年の秋から習い始めて、独り立ちしたのが翌年のゴールデンウィークぐらいでした。約半年間一緒にやりながら教えてもらいました。
ただ僕もアーティストと兼業しながらなので、また次はどこに行くかわからないような状況でもある。そこで、さらに若い世代、興味がある人に技術を伝えて持続的にできるようにしておいたほうがいいということに。そこにタイミングよく現れたのが......、実はこの場所(国立映画アーカイブ)で職員をされている村岡(由佳子)さんです。
村岡 志村さん、ご無沙汰しております。
フィルムを未来に残していくために
村岡由佳子さんの案内のもと、建物3階にある映写室を見学。「YCAMと設備が全然違う!」と驚きをみせる志村さん
──村岡さんはここで職員をされながら、現在もフリーの映写技師としても働いています。この仕事を始めたきっかけを教えてください。
村岡 私はもともとYCAMでもぎりのバイトをしていたんですけど、映写室に入りたくて。そもそも映写室は聖域感があり、敷居が高い印象を持っていました。また私自身、この仕事に女性のイメージが最初はありませんでした。ただ、移動映写をする女性の技師の方がYCAMにいらしたことがあって、私もやれるかもしれないと思い、門をたたきました。
志村 フィルムが結構重いんですよ。重労働な面もあるので、僕も最初は女性がやるイメージがあまり持てていなかったです。
村岡 一缶、3キロくらいありますからね。一作品だと20~30キロも。上映中はずっとフィルムを上げ下げしないといけないので、たしかに体力勝負ではあります。
床に並んでいるのは上映前のフィルム。1缶あたり約20分の映像が記録されており、黄色いテープが貼られたマス目に作品ごとに置かれている
──志村さんはどういう先輩でしたか?
村岡 当時のことを思い出すと、仕事のことよりもどうでもいい話ばかり思い出してしまって(笑)。たとえばYCAMの映写室は映写機にフィルムをかけるスペースと、フィルムの頭出しをするスペースの2部屋に分かれているんですけど、私が当初フィルムの巻き返しを専任で担当していて、志村さんがフィルムをかけていたんです。上映で面白いシーンがあると、それを伝えにきてくれるんですけど、私は別室にいるから作品を観れないんですよ。すごく面白そうに話してくれるけど、よくわからなくて(笑)。
志村 だめな人じゃん(笑)。
村岡 志村さんとは交わす言葉はそんなに多くなかったと思うんですけど、技術を通して交流していたので、親近感のある先輩でした。
──村岡さんの現在の活動についても伺いたいです。
村岡 志村さんに教えていただいたあと、独り立ちするのがすごく不安で。いろんな映画館に映写を教えてほしいと電話をかけまくりました。もちろん全部断られたんですけど、最終的にYCAMで映写を続けながら福岡県の北九州市にある小倉昭和館というところで受け入れてもらえて、仕事を習いました。その後、映写技師のワークショップに参加して人脈を広げ、現在は国立映画アーカイブのほか、都内の名画座でかけさせてもらっています。時代的にも下の世代が育ちにくい業界なので、もっと若い世代にもフィルムに興味をもってもらえるようなワークショップやイベントなどを開催することもあります。
建物2階にあるOZUホールにて
──お二人にとってフィルム映画の魅力とはなんですか?
村岡 フィルムの映画って絵画のようだなって思うことがあります。フィルムの映写は人の手が結構かかっているんですよね。フィルムだと画面の周りがぼやけていたりするから、ちゃんと四辺を黒いマスクでカットするんです。そこはデジタルでは軽く見られている部分です。丁寧な映写をせざるを得ないという面もあるんですけど、それによってちゃんと暗闇が演出されて、映画に集中できる環境が自然と生み出されている。だからこそ観る人が得られる体験というのはあると思います。
志村 一言で言うなら手触りがあるっていうところですかね。映写の仕事をやる前までは、なんとなくデジタルよりもフィルムの方がいいという感覚はあったんですけど、実際に自分の手でフィルムを巻いて、暗闇の中で映写してみて分かるのは、手触り。面白いのが、フィルムって物質なので、たくさん上映されてきた映画にはスクラッチ(すり傷)がすごいあったり、切り貼りしてつなげた箇所が結構ある。そこが上映中にちょっと揺らいだりするのも味があっていいんですよね。フィルム自体に人の記憶みたいなものも染み込んでるような気がしていて。フィルムで上映する映画を観るっていう経験自体に価値があると思います。
もう一つ最近思うのが、オーストラリアの国際交流基金シドニーで開催中の個展「Afternote: In the Shade of Cinema」のアーティストトークの際に、若い映画ファンから「オーストラリアでもフィルム上映は減っている状況ですが、フィルムの上映はこれからどうなると思いますか」と質問されたんです。一つ言えるのは、もちろんどんどん減っていくとは思います。でも、そこにある価値自体は残り続ける。フィルム上映が本当になくなるときがきたら、なんで残さなかったんだろうって絶対みんなが言うはずだと思うんですよ。僕は芸術家だから、その価値を信じているし、作品や活動を通して伝えていくことが、これからもフィルム上映が続くためにも必要なことなのかなと思っています。
後編では志村さんが日本各地に眠るフィルムアーカイブを用いてアート制作する理由に迫る
Information
〈国立映画アーカイブ〉
住所:東京都中央区京橋3丁目7−6
展示室の利用時間:11:00〜18:30(入室は18:00まで)
*毎月末金曜日は11:00〜20:00(入室は19:30まで)
休館日:月曜日、上映準備・展示替期間、年末年始
上映情報などの詳細はこちら
ARTIST
志村信裕
1982年東京都生まれ。2007年武蔵野美術大学大学院映像コース修了。2016年から2018年にフランス国立東洋言語文化大学(INALCO)客員研究員としてパリに滞在。現代美術作家として、身近な日用品や風景を題材にした映像インスタレーション作品を各地の美術館、芸術祭で発表する。これまで国内外のアーティスト・イン・レジデンスにも多数参加し、拠点を移しながら制作スタイルを更新させてきた。2013年から2015年まで山口市に滞在し、山口情報芸術センター[YCAM]のシネマで35mmフィルムの映写に携わった経験から、ドキュメンタリーの手法を取り入れた映画/映像作品を制作するようになる。忘却された土地の記憶を喚起させるような主題を扱い、綿密なフィールドワークを元に、独自の視点で歴史を編み直すようなプロジェクトを手がけてきた。近年では特に、地域に残されたフィルムなどのアーカイブをインスタレーションに取り込むなど、映像メディアが孕む記録性や時間性に焦点をあてた試みを探求している。近年の主な展覧会に「森の芸術祭 晴れの国・岡山」(岡山、2024)、「Afternote 山口市 映画館の歴史」(山口情報芸術センター[YCAM]、2023-2024)など。
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