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2023.10.20

【後編】旅先で出会う、土地土地の工芸に託された精神に惹かれて / 連載「作家のB面」Vol.16 遠藤薫

Text / Daisuke Watanuki
Photo / Kaho Okazaki
Edit / Eisuke Onda
Illustration / sigo_kun

アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。 連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼/彼女らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて話してもらいます。

前編では工芸をベースにさまざまな作品を制作する遠藤薫さんと東京の「銀座」を巡りながら、旅することの魅力を話してきました。後編では、旅してきた中で出会った土地土地の工芸と作品制作の話に迫ります。

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【前編】銀座を巡りながら考えた、私が旅に出る理由 / 連載「作家のB面」Vol.16 遠藤薫

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港町の近代文化に思いを馳せて

今回の取材は銀座のお気に入りスポットを巡って行われた。写真は遠藤さんお気に入りの銀座の原生林(?)。「森岡書店の森岡さんから聞いたんですけど、この場所って誰も手入れしていない、自然の場所らしいですよ」と遠藤さん

ーー最近訪れた場所でよかった土地はありますか?

最近は沖縄の八重山、愛知や神戸でも滞在制作を行いました。愛知は一宮に1年間通って、織物工場の跡地に滞在させてもらって。神戸も長いこと滞在しましたね。この取材のあとには、別府と長崎に行きます。長崎は雲仙にこの前も訪れたんですけど、温泉に綿花や藍、近代史など興味深かったので楽しみです。展示の予定はまだないのですが、もう勝手に作品の構想ができているので作り始める準備をしています。

遠藤さんが長崎で撮影した空と海。遠藤周作の碑「人間がこんなにも哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」という句を想う

キリシタン殉教の地として有名な長崎の雲仙地獄

ーー港町のある土地が続いていますね。

そうですね。港のある土地はいろいろな文化が混ざっている感じがしますね。そしてそこではやはりいろんなことが起こっている。特に、あらゆる「信仰心」の様態に興味があります。私はキリスト教の信者ではないですが、一宮での制作の頃から隠れキリシタンのことがとても気になっていて、キリシタン弾圧の際に踏み絵を踏む人と踏まない人が出てくるじゃないですか。踏むとキリシタンではない証明になって、キリシタン側からすると裏切りになりますよね。でも信仰ってそれぞれの心の内の問題だから、踏んだとて信仰している人たちもいるんですよね。 同様に、戦時中だと天皇万歳って自殺する人もいれば、それを捨てて逃げる人もいる。そこで私が思うのは、生き残るか否かというのは、忠誠心とは全く別のものでいいということ。だって正解なんて時代によって変わるし、それに別の誰かにとってはどうしようもなくどうでもいいことかもしれないじゃないですか。ただ、そのなかで信仰を大事に思う気持ちや、その思いの強弱に興味が湧いてしまうんです。

天草四郎の墓。若干15歳にして島原・天草一揆のリーダー。その実態は謎に包まれている

ーー沖縄戦などを思うと、弱いからこそ生き延びられるのかもしれない、とも思います。結局忠誠心のために自害した人はもうこの世にいないわけで。

日本軍の嘘を“信じてしまう”ことも。なんとも言い難いです。戦争中に国のプロパガンダのために戦争画を描いていた藤田嗣治の振る舞いも生き延びるすべとして参考にはなるかなと思うんです。私は卑怯なのは嫌なので、正直に振る舞ってすぐ死んでしまうタイプではあります(笑)。だからこそ、タヌキみたいな狡猾な生き方に興味が湧くというか。あんまり好きじゃないですけどね‥‥(笑)。

ーー弱さのもつ真の意味の強度、ということでいえば工芸品のもろさにも共通するのかなと思いました。

ちょっと話がそれるかもしれませんが、工芸の話でいうと、やり投げの機械を作った人類が生き延びたんです。屈強な肉体を武器に大型の獲物を仕留めるハンターだったネアンデルタール人は絶滅し、生き残ったのは華奢な体のホモ・サピエンスだった。ではなぜ私たちの祖先だけが生き延びたかというと、弱さを補うために「投槍器(アトラトル)」を作ったから。道具を進化させた方が、あらゆる危機に対応できてたんでしょうね。随分前に、弱いほうが生き残ったという話を染色作家の福本繁樹先生から聞きました。福本先生のご自宅に飾られた投槍器の前で。非常に惹きつけられる思いがしました。弱さへの興味はそこから始まっているのかもしれません。

 

意識と無意識の集合の中に民衆の工芸は形作られる

インタビューは〈月光荘サロン 月のはなれ〉屋上にて

ーーなるほど、人間が弱いから道具、ひいては工芸品が発達してきたとも言えるかもしれないですね。ここから創作の話もお聞きしたいです。移動しながらのものづくりの原点は進学で訪れた沖縄のように思うのですが。

沖縄に行きたいという気持ちは、小学生の頃からありました。テレビで琉球ガラスの工芸作家・稲嶺盛吉のドキュメンタリーを見たのがきっかけです。米軍のコーラ瓶などを素材に使う再生ガラスにはどうしても気泡が入ってしまうんですよね。本来それは欠点なのですが、それを逆手に取って特徴としているのが琉球ガラス。灰や魚の骨を入れることで、その特徴はより色濃く出てきます。苦難の中で生まれたともいえる、ブリコラージュのような沖縄の工芸の弱さとも強さとも言い難いありように衝撃を受けました。〈沖縄県立美術館〉と〈大阪中之島美術館〉で展示させてもらった際に、ドキュメンタリーで見ていた工房の方とコラボレーションができたのは嬉しかったですね。

沖縄県立美術館『琉球の横顔』(沖縄、2020)で展示された稲嶺盛吉の工房とコラボレーションした作品《Molotov cocktail/ Coke/ Okinawa/ 1945》

ガラスの中で存在感が際立つ首里城の灰。沖縄地上戦の頃に投げ捨てられた1945年製のコーラ瓶などを溶かし、沖縄の歴史的な素材をガラスに混ぜ、もう一度コーラ瓶の形に再成形したシリーズ

ーーその土地に息づく工芸には、それぞれのたくましさを感じます。

私は意識と無意識の集合の中に工芸があると思っています。 たとえばガラスのコップは、水と重力と人間の手の構造と、水を飲まなければ絶命するという生物の特性のために、その造形が必然的に与えられている感じがするんです。この形にしたくてしてるわけじゃない。このような「制約」の話はよく民藝の中でも語られますよね。世界の条件に合わせてもはや勝手に発生してるというか。そのあとに装飾はあるんですけど、神事的な意味など祈りのための意匠を考えると、デザインも必然的に表れている。衣装も意匠もその発生は総じて「畏れ」への克服ではないでしょうか。伝統に限らず、考現学的な眼差しも忘れたくないです。 無意識下で生み出されるもの、それが工芸のおもしろさだなと思っています。「無意識」はユングの言葉ですが、ユングは夢診断や占いの易、空飛ぶ円盤などのオカルトにも精通しています。私も占いや書をする家系なので、昔からそれらに興味がありまして。工芸とオカルト、あまり関係ないように見えますが、実は、民藝運動の柳宗悦の最初の著書が『科学と人生』(1911年)というオカルト的な論文です。彼は元は宗教的哲学者です。初期の本もまた、相当面白いですよ。近年の民藝理解としての日常系とか丁寧な暮らしとは、形相が違います。そして実は晩年まで、彼は「直観」は「命数(運命)」だというような発言が残されているんですよね。私はそこに着目しています。

ーー大学では染色を専攻されていたんですよね。

通っていた沖縄の芸大にはガラス学科がなかったんです。ただ、紅型(沖縄の染め物のこと)の授業を受けていたら、米兵の薬莢が配られて、それで染め道具を制作するところから始まります。そこにもありもので作るブリコラージュの精神を感じました。私がやりたいのはガラスでも、ひいては沖縄に限ったことでもないのだと、そのときわかったんです。

その土地土地の工芸に隠された人々の気配みたいなものに惹かれるんでしょうね。全国の銀座を旅してきたことも根幹はそこなのだと思います。

 

工芸をやっているはずが、はみ出てしまった

ーーほかの土地で気になった工芸などはありますか?

ベトナムですね。大麻布(ヘンプ)を知りたいと思って行きました。制作するにつれ逆行するように素材や土壌や歴史に興味が湧いて。日本で大麻は伝統農産物だったはずなのに、なぜ今は見かけないのか疑問でした。その後、敗戦やGHQ、東京オリンピックの影響などがあると知ったのですが、素材としても興味があった。戦前の古い布などを集めると、だいたい麻なんです。貴族などは絹などを着ますが、私はどちらかというと市井の人々が着る芭蕉布や大麻布に興味があって。大麻の布ってどう作るのか興味を持ったところ、ベトナムの山奥で少数民族の方々が作っていると知人から聞いていて、偶然、移住することに。ベトナムは社会主義の国ということもあり、価値観がひっくり返っていましたね。戦争で子どもを差し出した母親が勲章をもらって、顔写真が並べられていたり、戦闘機B-52が突っ込んだままの池があったり。1番流行ってるカフェがスタバではなくコン・カフェ(共産カフェ)で、コミュニストの顔写真が貼られた店内で戦時中の食事をいただくんです。全ての戦争に発展してきた国らしいなと思いました。それを思うと、ベトナムの町並みはフレンチ・チャイニーズコロニアルの建築様式だし、ベトナムコーヒーやバインミーなどの食べ物も、他国の駐屯兵の文化の影響を受けて生まれたものです。戦争を起点に文化が生まれるのは沖縄も含めてどこも同様ですが、私の焦点が今はそこに合ってきているのかなと思いました。どこをみても争いと創造があるんだ、と「不二」について改めて触れたような気がします。移住は偶然なんですけど、すべてお膳立てされているような気さえします。

ーーたとえばベトナムではディン・Q・レのようなベトナムの芸術家が戦争を含めたベトナムの記憶をアートとして表現しています。そんな中で、外からやってきた遠藤さんが制作した《Uesu(Waste)》も別の視点があるからこそできるおもしろい作品だと思いました。

おっしゃる通り、シビアな場面ではよそ者だからできることはありますよね。市場で集めた古雑巾を重ね合わせて巨大な「画布」をつくり、数人掛かりでその布で路上を擦って回ったパフォーマンス作品です。ベトナムでは政府の許可なしには作品展示もできません。しかし、雑巾で町を掃除するという体を保つことで、公共空間での芸術活動を遂行しました。雑巾がけは規制をかいくぐる方法でもありますが、布という素材の価値を考えたら「つかう」という行為は必然性がありますよね。実際に住んで地元の作家たちの話を聞いていると、私自身もどこか窮屈で、鬱屈とするようになっていたんです。

《Uesu(Waste)》の制作風景、雑巾がけの様子

ーーアートと工芸の領域を行き交う姿勢は遠藤さんの作家性に現れていますね。

そもそも私、現代美術をしようと思ってたわけじゃないんですよ。書や工芸をやっていたらはみ出てしまったという感覚です。アクティビストでもないです。ただただ、より良い生活を切望すると自然と反骨的になったり政治に触れざるを得ない。そういう風に理解しています。

ーーそれでいうと、現在のご自身の表現活動においては、その土地土地に移動して、知る、見る、体験するなどの行為はもはや欠かせないことでしょうか。

そうですね。その場所の空気とか水とか文化的な匂いとか時間、そういうものを体内に取り込んで調整します。歩けるうちはちょっと歩いていこうかなと思います。体力がなくなってきたら、集めてきたものとかで何かを生み出せたらいいなということも考えています。いつか歩けなくなったら、ゆっくり織物をしようかな、とか。交互に右足左足で織り機を踏んで織って、なんか歩いてるみたいですね、織物を織るのって。

国際芸術祭あいち2022、『羊と眠る』(一宮、豊島記念資料館、2022)の展示より。古くから羊毛を使った繊維業が盛んな一宮。「美」の文字には「羊」という文字が隠されている事に気づいた遠藤さんは、自ら羊を解体し、皮をなめし、棄てられる羊毛を織って、大きなパラシュートを制作

ーー今の遠藤さんからは、松尾芭蕉が各地で風景を詠んでいるのに近いものを感じます。

綺麗にオチがついてしまうと、豊かじゃないような気もするんですけど、テキスタイルとテキストって二つとも同じ“織り上げる”を意味するラテン語の「texere」を語源としているんです。二つにはやはり共通するところがあるんですよね。それを思うと、織物も読み物のような感じがします。その感覚はずっと大切にしていますね。

ーーたしかに遠藤さんの作品は、表象としてのテキスタイルに込められた、内部のテキストを作品にしているようでもあります。

織物と読み物。不思議ですよね。織り機は産業革命やコンピュータの元になっていますよね。ともに人間らしい進化の歩みの中の中心部分にあるもののような気がしています。装ったり、表現したり、人間ってメタモン(体の細胞の作りを自分で組み替えてほかの生命体に変身するポケモン)みたい。何かを作ることで自分を変えていく。メタ視点で考えると、もはや肉体の外側にしか人間の本質ってないような、そういう気がずっとしていて。対する肉体は、愛すべき動物なのかなあ。

制作に一番大事だと思ってることがあって。私はよくわからないものが好きなので、作品にはいつも、秘密を隠すようにしています。宝探しみたいに。鑑賞体験は作品を見せられるよりも、散歩するみたいに鑑賞者が会場を遊歩して、能動的に何かを見つけちゃうのが一番楽しいかな、と思って。もはや作者の意図からもはみ出して。

ーー最後に、現在の活動について教えてください。

11月5日まで21_21 DESIGN SIGHTギャラリー1&2の企画展「Material, or 」に参加しています。私たちとマテリアルのつながりを、地球をめぐる果てしなく広大な物語から読み解き、再発見を試みる展示。アートだと思って観に行くといい意味でも悪い意味でもおもしろくて面食らうと思います。

蚕を用いたテキスタイル作品を「Material, or 」で展示中

また、12月24日まで兵庫県立美術館 常設展示室で「美術の中のかたち―手で見る造形 遠藤薫『眼と球』」を開催中です。視覚に障がいのある方にもより作品を楽しんでいただくことと、視覚に重きをおいてきた美術鑑賞のあり方を考え直すことを目的に1989年から断続的に続いている企画の一環で、今回は私が作品を展示しています。公式サイトでハンドアウトも公開しているのでそちらもぜひ読んでみてください。

取材現場に同行していた遠藤さんのご家族

〈月光荘サロン 月のはなれ〉

月光荘の原点であるさまざまなクリエイターたちが集まるサロン、自由な交流を持てる場を目指して2013年12月にオープン。連日ライブなども行われている。

住所:東京都中央区銀座8-7-18月光荘ビル5階
営業時間:月曜~土曜は14:00~23:30(L.O.22:30)、日曜・祝日は14:00~21:00(L.O.20:00)
ライブなどの詳細は公式HPにて

Information
「美術の中のかたち―手で見る造形 遠藤薫『眼と球』」

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会期:2023年9月9日(土)〜12月24日(日)
会場:兵庫県立美術館 常設展示室(1階、2階)
住所:兵庫県神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1
詳細は公式HPにて

 

「Material, or 」

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遠藤薫さんの蚕を使ったテキスタイル作品を展示中

会期:2023年7月14日(金)~ 11月5日(日)火曜休
会場:21_21 DESIGN SIGHTギャラリー1&2
住所:東京都港区赤坂9-7-6
詳細は公式HPにて

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ARTIST

遠藤薫

アーティスト

1989年大阪府生まれ。2013年沖縄県立芸術大学工芸専攻染織科卒業。2016年志村ふくみ(紬織, 重要無形文化財保持者)主宰アルスシムラ卒業。 最近の主な展示に『第13回 shiseido art egg』(2019年,資生堂ギャラリー /東京)、『Welcome, Stranger, to this Place」(2021年,東京藝術大学大学美術館/東京)、『琉球の横顔 ― 描かれた「私」からの出発』(2021年,沖縄県立博物館・美術館/沖縄)など。 『第13回 shiseido art egg』ではart egg大賞を受賞した。

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