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2022.07.08

この雲は美術の歴史を固めたもの / 連載「街中アート探訪記」Vol.8

Text / Shigeto Ohkita
Critic / Yutaka Tsukada

私たちの街にはアートがあふれている。駅の待ち合わせスポットとして、市役所の入り口に、パブリックアートと呼ばれる無料で誰もが見られる芸術作品が置かれている。
こうした作品を待ち合わせスポットにすることはあっても鑑賞したおぼえがない。美術館にある作品となんら違いはないはずなのに。一度正面から鑑賞して言葉にして味わってみたい。

前回品川で霧の彫刻を見た私達だが、同日の今回訪れたのは雲のパブリックアートである。日比谷公園の隣、霞ヶ関近くにあるビルにエルリッヒの作品があるという。レアンドロ・エルリッヒは1973年アルゼンチン生まれの作家であり、日本では金沢21世紀美術館のプールの作品で有名でもある。

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前回は霧の彫刻を鑑賞しました。vol.7もぜひご覧ください。

前回は霧の彫刻を鑑賞しました。vol.7もぜひご覧ください。

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動いても、無くなっても彫刻。霧の彫刻を見に行く / 連載「街中アート探訪記」Vol.7

  • #大北栄人・塚田優 #連載

手の届くところに雲がある

大北:著名作家のパブリックアートがあるだけあって大きなビルだな~。窓の数だけ部屋があって、部屋の数だけ打ち合わせしてますよ、人間は。

塚田:人間はなんで打ち合わせするんですかね。

大北:このどこかの一角にあるんですかね。

塚田:あれ? まさか大北さんまだ見つけられてない?

大北:センスのなさをすでに発揮させてますが……あ、あったあった!

レアンドロ・エルリッヒ『The cloud』2011 飯野ビルディング

大北:ああ、すごい。へえ~! まずこれが止まってるのか、動いてるのかが写真ではわかんなかったので。

塚田:止まってるように見えますよね。

大北:雲だ、おもしろいな~。ちゃんと立体的な雲。角度を変えて見ても立体に見える。これはガラスが何枚もある?

塚田:ですね。構造としてはけっこう簡単。

大北:何枚も平面に雲が描かれてるんですね。

塚田:やっぱり平面だから絵画的な感じがありますね。

塚田:でもそれでいて「あれ? あれ?」って近づいていくと……ガラスが層になってることがわかる。回り込んで見ると、彫刻的な側面もあることに気づかされます。

大北:なるほど、横からでも雲っぽく見えますね。真横でも。

塚田:むしろ横からの方がそれっぽく見えますよね。そういったところでは360°ちゃんと楽しめるように作られている。

大北:何層にも平面を重ねて立体を作るのはありがちな手法なんですか?

塚田:どうなんですかね。何層もというわけじゃなく、まあ箱みたいなものを作るボックスアートっていう分野でジョセフ・コーネルという作家がいたりとか……具体的な作例が思い出せず恐れ入りますが、なくはないやり方だと思います。

大北:レイヤー化するって言い方をすると現代っぽい作品ですよね。

塚田:そうですね、そういう観点からも考えられます。

 

何かを媒介させた視点で見る

塚田:エルリッヒってなにか越しに見せることが好きな作家なんですよ。

大北:なにか越し??

塚田:六本木で個展やった時、建物の壁に寝そべったりぶら下がってるように見えて話題になった作品があるんですけど。

大北:調べます。あ~、これか。話題になってた気がする。
※参考:https://hillslife.jp/art/2018/01/05/reflections-telling-your-stories/

塚田:床にある建物の作品に寝そべると設置された鏡にそれが映る。インスタレーションの体験者は鏡に映った自分を見て驚くわけです。他にもプールの作品があって。

大北:金沢21世紀美術館の有名なやつですね。あれもなにか越し?
※参考:https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?d=7&g=30

塚田:そうそう、あれも薄いガラスにちょっと水を入れて、上から見ると人が水の中に入ってるように見えるという作品ですね。鏡とか水とかを一枚介すことによって違った見え方をさせるという点では今、目の前にある『The cloud』もガラスとガラスの間に、何か加工を施してると思うんですが、それを雲というものに見立てる。雲っていつも動いてるじゃないですか、動きまくって雨を降らせたりとかする。そんなどんどん変わっていくものを凝固させて、作品として成立させている。

大北:我々が映り込むのも意図的なものなのかなあ。

塚田:そうかもしれないですね、ガラス面の特徴でもあります。あと、微妙に向こう側が見えたりするのも楽しい。

大北:ほんとだ、向こう側に歩いてる人が見えますね。

塚田:手前と奥がオーバーラップする。そういうのはちょっと面白いですね。

正面からだと見る者が映り込む。向こう側も見える。

 

作品を見て驚く、作家がSNS時代に飛躍

大北:わかりやすい作品というか、パッと見た瞬間におもしろいって思いますね。

塚田:そうですね。見たら絶対近づきますよね。元々そういう素朴に「あ、すごい!」みたいなアプローチの作品が多いので、パブリックアート向きな作家でもあると思います。

大北:プールの作品はすごい人気ですよね。

塚田:もう5年近く前ですけど森美術館の展覧会も美術館がSNSを活用する成功例としても有名になりました。

大北:なるほど、SNSと親和性ありそう!

塚田:日本ではこのころからだんだん美術館でもSNSにアップOK撮影OKという流れになっていて、そのきっかけを作った作家でもありますね。

大北:そういえば最近けっこう写真撮っていいよって展示多いですよね。

塚田:その前からやってはいたとは思うんですけど、成功した事例としてエルリッヒはしばしば言及されています。

大北:実際、プールの作品は知り合いがSNSに行ったよって写真を上げていてそこで知りました。今はそうやって美術が広がっているのかな~。

塚田:シェアをきっかけにして美術が広まっていく。

大北:そこには自分も写っているというのはなんか象徴的な話ですね。

エルリッヒみたいなみんながSNSに上げたくなるような作家さんはたくさんいるんですかね。

塚田:出展されていても撮影が認められているかどうかはケースバイケースだとは思いますが、エッシャーなんかはそういうタイプかと思います。「見て驚く」みたいな。

大北:あ~、なるほど、だまし絵の。見て驚く系の作家ってのは脈々と続いてるわけですか。

塚田:脈々と続いてますね。一方では、誰が見ても驚けることは評価が難しい部分もあるんですよ。「単に驚いてるだけじゃないか」みたいな。だから驚けて、人気があっても歴史的に文脈付けて考えることができない場合もあるのでその辺はとらえ方が難しかったりもします。

大北:そっか、逆に言うと文脈づけて考えることって美術界の評価で大事なんですね~。

塚田:でもその一方で、人々が実際に支持して面白い、面白いって盛り立てることで残るタイプの作品もあるんですよね。

美術評論の塚田(左)とライターの大北(右)でお送りしています。

 

雲は美術の脇役としてずっとあった

大北:にしてもなんで雲がここにあるのだろう?

塚田:雲ってね、美術の歴史の中では意外と注目されてるモチーフなんですよ、ユベール・ダミッシュという人が書いた『雲の理論』という古典的な本にも書かれているのですが、雲は場面を演出するために絵の中ですごく役に立ってきたんですよね。ほら、雲と雲の間から天使が降りてきたりするじゃないですか。

大北:ああ! たしかに宗教画とかに雲はよく出てきますね。あれ雲がなくても成立しそうですし。

塚田:つまり雲は舞台装置なんです。神々しさを演出するためのモチーフとして使われてきたというのもありますし、風景画においては美しい構図の絵を作るための一つの構成的な要素としてもある。主題をより際立たせるための脇役として、いい具合のバランスに配置される。雲って動いてる存在だから、どこに置いても不都合は起こらない。

大北:なるほど、空中で動いてるものということは、どこに置いてもおかしくない。

塚田:意味のないところに置いても大丈夫。

大北:バランスを取るためにちょっと置いとくかみたいな、刺し身のツマとか菊みたいな役割をしてきた歴史があると。

塚田:でも、一方で科学が発達していくと、雲の形を科学的に分類するようなことが近代に始まるわけです。それによって 画家もエビデンスを重視するというか、勝手な雲を描けなくなってくる。

大北:「夏にこんな雲はありえない」とかですね。ネットミームでいう「雲警察」が現れる。

塚田:実際そう言う人がいたかはわからないですけれども、科学的な知見が絵の中にも影響するようになってきたということが雲を通じてわかるわけです。

大北:科学ってそういうところに影響を及ぼすのか~。

 

雲から時代を感じ取る

塚田:現代において雲はネット上にファイルを保存する場所の比喩としても使われたりとかもしてるし、エルリッヒのカタログに文章を寄せていたニコラ・ブリオーという有名なキュレーターがいるんですけれども、その方は「現代のイコノグラフィーだ」と言っていて、雲を現代の象徴的な図像として取り上げた作品だと解釈してるんですよね。

大北:へえ~(※わかっていない)。

※ついわかったフリして聞いてしまいましたが、意味を持つ図をイコン(図像)といって、イコノグラフィーは絵の中にイコンがある絵画のこと。ひいては絵から意味や時代性を読み取るような見方だそうです。

塚田:雲は移り変わっていくものであるからこそ、人間のいろんな比喩が込められてきた存在でもあると思うんです。

大北:動いて形がないとどこにでも置けるし、色んな比喩にもなってくるんだ。いいように使われてきたな~、雲は。

塚田:想像力の受け皿というか。

大北:比喩でいうと雲はよく見えない象徴としてもありますよね。嫌なものだったり。これも中心あたりでは向こう側が見えない。

塚田:そうですね。美術の話じゃなくなっちゃいますけど、新海誠の映画にも『雲の向こう約束の場所』というタイトルの作品があったり。

大北:さえぎるものであり、その先に何か想像をかきたてるものってことでもありますね~、それを見ること自体おもしろい行為ですな。

実はエルリッヒという作家を今日知ったばかりでおもしろいと思う一方、信頼していいのかとも思っていて。寝そべったら壁にぶら下がってる写真が撮れるのは、トリックアート美術館もそういうことだよな~と。

塚田:でもエルリッヒに関して言えば、さっきも雲の話ができたように歴史的な意識がうかがえるところはやっぱりアートとしての一つのプライドというか、そういうのを持ちながら制作を続けてるんだろうなと。

大北:なるほどな~、SNSアップの流れのきっかけと聞くと、あ、まさにクラウドといえばって思いますしね。

塚田:この作品も雲についてさかのぼった話をすることによって、伝統的な絵画としても見えるわけです。

大北:そうですね。脇役になってた雲が現在になって主役になってるってこともおもしろいですね~。

塚田:そういった言い方もできるかもしれませんね。

大北:キャッチーであるからといって必ずしも美術の文脈で評価されるわけではないという話をうかがうと、美術における評価の難しさについて改めて考えさせられますね。

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  • #大北栄人・塚田優 #連載

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DOORS

大北栄人

ユーモアの舞台"明日のアー"主宰 / ライター

デイリーポータルZをはじめおもしろ系記事を書くライターとして活動し、2015年よりコントの舞台明日のアーを主宰する。団体名の「明日の」は現在はパブリックアートでもある『明日の神話』から。監督した映像作品でしたまちコメディ大賞2017グランプリを受賞。塚田とはパブリックアートをめぐる記事で知り合う。

DOORS

塚田優

評論家

評論家。1988年生まれ。アニメーション、イラストレーション、美術の領域を中心に執筆活動等を行う。共著に『グラフィックデザイン・ブックガイド 文字・イメージ・思考の探究のために』(グラフィック社、2022)など。 写真 / 若林亮二

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