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- わたしはどんな絵の上を生きているのだろう。くどうれいんが観た「杉戸洋展:えりとへり / flyleaf and liner」 / 弘前れんが倉庫美術館
ESSAY
2026.04.01
わたしはどんな絵の上を生きているのだろう。くどうれいんが観た「杉戸洋展:えりとへり / flyleaf and liner」 / 弘前れんが倉庫美術館
Photo / Shin Hamada
Edit / Eisuke Onda
青森県・弘前市の中心地から少し歩いた先に、巨大なれんがの建物があらわれる。ここが弘前れんが倉庫美術館だ。明治・大正期に建てられたこの建物は、その後、美術家・奈良美智氏の展覧会が行われたことを契機に、2020年に美術館として生まれ変わった。
同館では現在、奈良とも深い関わりを持つ画家・杉戸洋氏の展覧会「えりとへり / flyleaf and liner」が、2025年12月5日(金)から2026年5月17日(日)まで開催されている。会場には、絵画が自由なかたちで配置され、空間そのものが一つの作品のように立ち上がる。本展は、杉戸氏が影響を受けたグラフィックデザイナー・服部一成氏とのコラボレーションでもあり、両者の遊びあふれるセッションにも注目したい。
今回は、東北で暮らす作家・くどうれいんさんに、思い出の弘前れんが倉庫美術館を再訪してもらい、杉戸洋の作品と向き合う時間をエッセイとして綴ってもらった。

くどうれいん:1994年生まれ。岩手県盛岡市出身・在住。著書に、小説『氷柱の声』、小説作品集『スノードームの捨てかた』エッセイ集『うたうおばけ』『湯気を食べる』、歌集『水中で口笛』、絵本『まきさんのソフトクリーム』、『スウスウとチャッポン』などがある
美術ってもしかすると、わたしのこれからの人生を豊かにするのかもしれない。そう思ったのは2006年、弘前れんが倉庫美術館となるまえの、同倉庫で行われた奈良美智「YOSHITOMO NARA + graf A to Z Memorial Dog」が初めてだった。12歳のわたしは両親に連れられて青森へ行き、ああ、美術展か。両親の気が済むまで静かにゆっくり歩くのだろうと内心思っていたが、その展示はすさまじかった。とにかく観るものがたくさんある。たくさんの小屋をのぞき込んだり、近づいたり、時には触ったり。顔をどこに向けてもたのしくて、両親よりもゆっくり観ていた。美術が好きかもしれない。美術館が好きかもしれないと初めて思った場所が弘前だった。


弘前れんが倉庫美術館の前身である吉井酒造煉瓦倉庫では、2002年、2005年、2006年の3回にわたり、弘前市出身のアーティスト・奈良美智による展覧会が開催された。本スペースでは2006年の「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」の様子が紹介されている
弘前れんが倉庫美術館は、もともとは日本酒の醸造所であり、戦後はシードル工場として使われていた。「A to Z」をきっかけに、美術の拠点としての需要がますます高まり、2020年にオープンしたとのこと。市民が美術を必要とし、そうしてついに美術館になった。そういう場所が東北にあるという事実が隣県在住ながらとても誇らしい。開館してから出来るだけ足を運びたいと思っている東北の美術館の一つだ。


館内に入ってすぐ、奈良美智《A to Z Memorial Dog》が現れる ©︎Yoshitomo Nara
弘前は観光地としてあまりにたのしい。アップルパイやシードルの食べ飲み比べ、贅沢なすじこのおにぎり、虹のマートの納豆はんぺん揚げ、ル・ブルジョンのジェラート、地酒、帆立やいかやまぐろを筆頭とした海鮮。弘前れんが倉庫美術館を理由に食べたいものがありすぎる。わたしは旅を検討するとき二つ行く理由があると腰を上げやすいような気がしているが、弘前の場合、食べものはもうとっくに行く理由になっているのだから、美術にお目当てがあれば安易に新幹線の切符を取るべきだ。駅から主要市街地と美術館が徒歩圏内に存在しているというのもありがたい。都内の美術館もいいけれど、美術館のために遠方へ足を運び、地のものを食べて帰ってくる頭も心も胃も満たされる旅の幸せったらない。

くどうさんは弘前れんが倉庫美術館のアシスタント・キュレーターの案内のもと館内を回った
今回拝見した企画展は、まさにその「A to Z」の際に、展示の一部で参加していた杉戸洋氏の「えりとへり / flyleaf and liner」である。抽象度が高く、コラージュのような要素のある美術の鑑賞にはあまり自信がないものの、大変楽しみだった。展示室へ一歩足を踏み入れて、思わず深呼吸をした。ああ、そうだったそうだった。弘前れんが倉庫美術館は、建物自体がとてもかっこいい。時間の流れや歴史を抱いて立ち続けた圧倒的な佇まいである。壁はコールタールで黒く、ところどころ輝いていたり、荒々しく剥げていたりするのだけれど、どの展示でもそれがまったくノイズにならない。わたしは時折、白い壁に囲まれた美術館にいると、自分まで鑑賞物になってしまっているかのような緊張感を抱くことがある。ところがこの弘前れんが倉庫美術館の中にいると、ちっともそう思わない。これまで多くの人が出入りしてきた歴史があるからか、建物も他のお客さんもわたしにいちいち気を留めていないような気がするのだ。そのおかげでいつもより作品に集中できて、暗がりに浮かぶように飾られている絵のことは思い出しやすい。

杉戸洋《untitled》(1993/2024) ©︎Hiroshi Sugito

コールタールの壁と杉戸洋氏の作品
杉戸氏の作品は、どれもこの壁との相性が抜群であった。木のようなもの。家のようなもの、窓のようなもの。一見シンプルで朗らかでかわいらしいように見える絵だけれど、近づいてみると前の絵がうっすらと透けていて、何度も上描きされているのがわかる。単に「あたたかい」「かわいい」「遊び心」と片付けることは到底できない圧倒的な存在感と説得力があって、わたしは「たはー」と小さく声を漏らしてしばらくそれを眺めた。1990年代の作品に2020年代になってさらに加筆を加えた作品群が展示の中には多くあるのだけれど、そのどれもに立ち止まってじっくりと眺めたくなる。レモンのようなもの。雲のようなもの。かつて描かれたものが消され、けれど透けて残っている。かっこいい。ひとつの絵の中に時間の薄い膜がいくつも重なり、のんびりとしているのに強くもある。糊付けを開いて展開図のようになった封筒や、パッキングされていた梱包材が添えられてはじめて完成される作品。けれどその「完成」も、「いまのところの完成」なだけで、これからのことはわからない。その刹那を歴史のある建物の中に構築している、そのかっこよさに痺れる。


杉戸洋《untitled》(1993/2025) アクリル絵の具、顔料、紙 ©︎Hiroshi Sugito
既に発表した作品を数十年後に描き足す。そうすると当然ながら、過去の作品には戻ることが出来なくなる。その手法はとても斬新なような気がすると同時に妙な共感があった。考えてみると、このキャンヴァスとわたしたちのからだは同じなのではないだろうか。わたしたちには「完成」がない。常に毎日の連続があるだけ。今日こう思っていても、明日がどうか、三年後がどうか、十年後がどうかはわからない。かつての自分が他人のように思えることもあるけれど、わたしと過去のわたしは同じひとりだ。そして、かつてに戻ることはできない。杉戸氏の絵も時を経て変化する。わたしは絵の前に立ちながら、この絵の中でとても自然の摂理が起きているように思った。なかったことにしてもうっすら透ける。風向き次第で当初の想定と全く違うことが起きる。でも、それはそれとして気に入っている。一度植えた苗木の枝の曲がりをいちいち気にしないような、それでいてこんなに大きくなるとはと穏やかに笑っているようなこころの広さを感じた。


3点の作品が重なるように立てかけられて展示され、その土台を支えているのはりんご箱だ
大きな紙に描かれた絵のへりには布や木材やまた別の紙が継ぎ足されている。その「えり」や「へり」によって、絵と壁の境目がより曖昧になり、いつもよりこころを開いて絵と向き合いたくなる。貼られた布のほつれ、足された板の木目。すべてのパーツが無秩序に、しかし確信をもってそこに置かれたのであろうという佇まいがあった。


展示会場にはデザイナーの服部一成氏とコラボレーションした作品もある。パネルの裏側で構成された小屋の中に入ると、服部氏が制作したポスターの上に杉戸氏の作品が展示されている。外側にもさまざまな仕掛けが施されている



他にも服部氏のグラフィックと杉戸氏の絵画、それから弘前市の商業施設のフードコートから着想を得た既製品のレンガ壁紙で構成された作品もある
服部一成氏とのコラボレーションも見ごたえがある。お互いが呼応して、楽しみながら構築されていったのだろうと想像するだけでうれしい。杉戸氏の絵のパワーをとても軽やかに引き立てていて、この組み合わせの必然性を感じる。制作現場を再現したような、作品の材料の並んだ展示を見ていると、やはりすべてのパーツが「たまたま」も含めて選ばれ抜いたものなのだろうと思う。

杉戸氏と服部氏の制作現場を再現した空間


制作現場のテーブルに置いてあった弘前市で人気の虹のマートのシール

杉戸洋《color tree 2》(1994/2024) アクリル絵の具、顔料、画鋲、紙 ©︎Hiroshi Sugito
《color tree 2》の飾られている壁もその必然の一つではないだろうか。青が差し色のようになったこの壁は、前の展示の壁をそのまま使ったものだという。現地で展示を作る際に、当初一色に塗りなおすか、壁紙を貼る予定だったものを杉戸氏が気に入ってこのままにしようということになったらしい。青い面に残る何かを剥がしたような跡や、途中からグレーに切り替わる壁を気に入った、というのは、作品を見ているととても頷けるものがある。ほかにも制作中、梱包材や立ち寄った飲食店などにインスピレーションを受け、その場で決まったことも多いらしい。即興の妙も存分に楽しめる展示だと思う。



今回の展示で制作した杉戸洋《untitled》(2025)の作品たち ©︎Hiroshi Sugito
「えり」や「へり」の素材は自分だったらうっかりとくずかごへ持って行ってしまいそうな紙の切れ端ばかりなのだけれど、絵を存分に見た後でこの切れ端を観ると、きっと必要だったのだろう、たくさんの切れ端の中でもこれがよかったのかもしれないと、納得できるようになっている自分がいて驚く。落ち葉の欠け方がこれ以上ないような完璧さに思えて持って帰るような、野山で遊ぶ感覚で杉戸氏はあらゆる封筒や梱包材や壁のことを捉えているのではないだろうか。しわがあったり、ひん曲がっていたり、うっかり剥がれていたり。偶発的なものにピンときやすい人なのかもしれない、と思いもした。自分にしかわからないかもしれないけれど、自分にはこうもありありとわかる「これはいいぞ」という感覚を一貫して表現し続けている方だと感じる。かっこいい。

常設展に展示していた奈良美智氏の《Untitled》(2006)©︎Yoshitomo Nara

コレクション展には、奈良美智が学生時代にアルバイトしていたというロック喫茶「JAIL HOUSE 33 1/3」を再現した資料も展示されている。その右手には、杉戸洋とのユニット・シャギャーンによるリーゼントの彫刻作品が並ぶ。杉戸が高校生のとき通っていた美術予備校で講師を務めていた奈良とは、その後も現在に至るまで親交が続いている

奈良美智の作品 展示風景©︎Yoshitomo Nara Photo: Ryo Narita
常設展では親交のある奈良美智氏との共作も展示されており、奈良氏の絵も数点観ることが出来る。ダンボールの上に紙を貼り付けたような、杉戸氏の作品と呼応していると感じられる表現もあり大変見ごたえがあった。青森ゆかりの同時代を生きるアーティストの展示もあり大変励まされる。

煉瓦の黒い壁に浮かび上がる美術を観る時間、この空間に自分の目と頭だけが存在しているような、ぽっかりとした集中はこの美術館ならではだと思う。わたしは人生のどんな絵の上から何を描こうとしているのだろうと考えながら、煉瓦の外へ出た。
Information
弘前れんが倉庫美術館 開館5周年記念
「杉戸洋展:えりとへり / flyleaf and liner」
■会期
2025年12月5日(金)〜 2026年5月17日(日)
■休館日
火曜日(ただし4月14日(火)・21日(火)・28日(火)、5月5日(火・祝)は開館)、5月7日(木)
■開館時間
9:00−17:00
入館は閉館の30分前まで
■会場
弘前れんが倉庫美術館
青森県弘前市吉野町2−1
詳細はこちら
DOORS

くどうれいん
作家
1994年生まれ。岩手県盛岡市出身・在住。著書に、小説『氷柱の声』、小説作品集『スノードームの捨てかた』エッセイ集『うたうおばけ』『湯気を食べる』、歌集『水中で口笛』、絵本『まきさんのソフトクリーム』、『スウスウとチャッポン』などがある。
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