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2023.03.24
【前編】アーティストと考える「匂い」の不思議 / 連載「作家のB面」Vol.11 山内祥太
Photo / Kenji Chiga
Edit / Eisuke Onda
Illustration / sigo_kun
アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。 連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼/彼女らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて話してもらいます。
「今は『匂い』について興味があります」と語るのはアーティストの山内祥太さん。昨年末からさまざまな本を読みリサーチする山内さんが「匂い」についての疑問を、嗅覚アートを20年以上探求しているMAKI UEDAさんをお招きしてお聞きします。まず話題となったのは、匂いにまつわるフェティシズムと記憶でした。
11人目の作家
山内祥太
デジタル技術を応用して現実と仮想空間を行き来する作品を制作するアーティスト。表現するメディアは映像、彫刻、インスタレーション、パフォーマンスなどさまざま。テクノロジーを使いながらも、生々しさや人間らしい感情、矛盾する気持ちや状況といった複雑さを表現にも試みている。
最新作《カオの惑星》はリアルタイムに変化していくオンラインゲーム型の映像インスタレーション。
photo : Keizo Kioku
「匂い」を強烈に意識した文学
世界的に活躍する「嗅覚アーティスト」のMAKI UEDAを招いて「匂い」にまつわる不思議を語り合います。現在、石垣島に住むMAKIさんとZOOMで話す山内さん
ーーまず山内さんが「匂い」に興味を持った経緯を教えてください。
山内:はい。自分はふだん映像作品や、インスタレーションでもVRとか、デジタル技術を使った作品を作っているのですが、最近「匂い」についての関心が強くなってきました。僕たちは親密な関係だと「この匂いが好き」とか話すかもしれないけれども、日常的に匂いについてはあまり話さない。でもその一方で、 匂いの前だと人は正直です。好き嫌いがとてもはっきりしやすい。個人的にそういうところに人間らしさを感じるようになり、次の作品のテーマとして取り上げてみたいと思い始めました。
山内さんが匂いの研究のために読んでいた本『匂いのエロティシズム』(著 / 鈴木隆)『香水 ある人殺しの物語』(著 / パトリック・ジュースキント)『眠れる美女』(著 / 川端康成)
そう考えるようになったのは、パトリック・ジュースキントの『香水 ある人殺しの物語』(1985年)という小説を読んだことも関係しています。この作品の主人公にとって「匂い」とは、自分の世界を構成するための、神秘的なエロティシズムみたいなものとして描かれています。本作を読んで、僕はそんな主人公の考え方に感情移入をしたんですが、ちょうどその時に制作していたのが《舞姫》(2021年)という作品でした。これは映像に映っている巨大な肌色のゴリラと人間がモーションキャプチャーというデジタルのコミュニケーションを通して、疑似的なSEXをする作品です。この作品の触覚的な側面と、『香水』における匂いのエロティシズムが自分の中でフェティッシュなものとしてすごくつながってきたんです。そんなこともあり「匂い」について誰かとゆっくり話してみたいと思っていました。
山内祥太《舞姫》2021年 photo : Tatsuyuki Tayama
MAKI:そうだったんですね。ジュースキントの『香水』は2006年に映画化もされていますが(邦題『パフューム ある人殺しの物語』)、そちらはご覧になりましたか?
山内:原作が好きな人にありがちなのですが、小説の文字情報で受け取った強烈な情景を壊したくなくて、 実はまだ映画は観れてないんですよね。
MAKI:私は小説も読んで、映画も観てるんですが、思い返すのがもう完全に映画のシーンになっています。 小説の方が思い出せない状況になっている。匂いの描写についても、私が小説を読んだ時に受け取った情報から想起していたイマジネーションが、完全に映画の中に出てきたマーケットの肉とか、魚といった映像に置き換わってしまっていて、それを元に戻すことが出来なくなっています。不思議なんですが、もったいないなと思いますね。
山内:それと、小説では主人公の見た目が良くないって描写があるんですけど、一方で彼の感性とか、神経質さや独特の美学についても言及があるので、時々すごい美男子のように変換される時があったんですが、映画ではどうでしたか。
MAKI:映画でも醜いという設定は残っていましたが、やっぱり普通に美男子でした。
山内:そうですよね。話を戻しますが、18世紀のフランスが舞台となっているこの作品が興味深いのは、主人公が自分の体臭がないことに驚愕し、さまざまなものを混ぜて、煮立てて、匂いを人工的にまとうことです。その行為は、日常的にデオドラント薬品を使い、無臭が美しさと同義になっている今の僕たちからすると、まったく逆の行為に見えなくもない。こうした日常における「匂い」というものに関して、MAKIさんはどのようなことを感じてらっしゃいますか?
MAKI:今私が暮らしてるのは都会ではなくて、石垣島の大自然の中なので、日々さまざまな匂いを感じることができます。面白いのは臭い匂いであっても、それがさまざまに干渉しあって「コヒーレント」されている、つまり調和されてるように感じることです。また、犬と一緒に暮らしてるんですけれども、人間と生活するのは犬にとってはやっぱり不自然なことなんでしょうね。私が触ったりすると必ず匂いを振り払うんです。新しいシーツにも匂いをつけるかのように、そこでずっと寝ています。それと臭いものが好きみたいで、地面のミミズの死骸を自分の首にこすりつけたりもしています。人間が香水を使う感覚なのかもしれません。そういう犬の匂いは臭いんですが、私は飼い主だから動物臭くても好きなんですよね。
それと石垣島は、すごく人々の体臭がいいんです。それも男女問わずです。「うわぁいい匂い」とか思って近づいていくと、おばあちゃんだったりとか。フェロモンみたいなものとも違うと思うのですが、みんなすごくいい匂い。これは現地の人たちがストレスなく過ごされているからなのかもしれません。実は健康状態、精神状態は体臭に影響を与える大きな要因なんです。
なぜ「匂い」は感情を刺激するのか?
この取材のために入念にリサーチをしてきたと語る山内さん。MAKIさんに聞きたいことを打ち明ける
山内:それと匂いについて、もうひとつ気になっているのは、記憶との結びつきです。ある日自宅の近所ですごい懐かしい匂いがしてきて、 立ち尽くしてしまったことがあります。それは何故かというと、以前付き合っていた人の家の匂いが全く関係のない住宅地からしてきたからなんですね。それはショックであると同時に羞恥心も入り混じった、自分の心の裏側をくすぐるような経験だったのですが、今は同じ場所を通っても、その匂いを感じなくなっています。
MAKI: 匂いと記憶との関連についてはよく語られますが、匂いが本当のきっかけなのかというと、私は疑問に思います。なぜかと言いますと、過去のその時、その場所の匂いは完全に再現されることはありえないからです。ただそうした体験が物語っているのは、嗅覚がかなりの「勘違い」を起こす感覚であるということです。たぶん匂いは感情と繋がっていて、それがなくなったり、記憶も薄くなってくると、匂いは再生装置にすらならないのです。
なぜ「勘違い」を起こすかというと、匂いが何らかの物質的な存在を示唆することを、わたしたちは経験的に知っているからです。匂いの元が無いところに、匂いは存在しない。なのでその体験を読み解くとすれば、脳に錯覚を起こさせたのは、「そこに彼女が存在していてほしい」という山内さんの感情なのかもしれません。
こうした記憶との関連は、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』になぞらえて「プルースト効果」と言われているのですが、やはり個人的には違和感を持っています。もしその効果が本当であれば、匂いからありとあらゆる記憶が想起されるはずです。
それに、匂いから記憶は想起できても、匂いの記憶は想起できません。例えば「チューリップ」の歌を歌って、真似してくださいって頼んだら真似できるじゃないですか。だけど匂いは頭の中では再現できないですよね。
なので恋人の家の匂いがしたと感じても、頭の中で具体的に描けてるわけではないと思うんです。聴覚とか視覚だったらもう少し頭の中でも再現可能ですよね。声がリフレインしたり、光景が少し思い浮かんだりとか。でも嗅覚だけは、確かに知ってるはずのあの匂いが、全く再現されない。
山内:たしかに。置き換え不可能というか、やっぱり匂いという記憶装置は、MAKIさんがおっしゃられたように感情みたいなものと密接に関係しているというのが面白いですよね。 技術的に外部に記録する場合、映像ならデータとして残せるんですけどね。
MAKI:匂いは記録に関しても、今の技術ではアバウトです。注意深くならないと知覚できないという意味では、聴覚に近いかもしれません。
「匂い」とフェティシズム
調香師を務めていたこともある鈴木 隆 著『匂いのエロティシズム』。
山内:リサーチを進めるなかで、鈴木隆さんの『匂いのエロティシズム』(2002年)という本を読んだのですが、これもすごく面白かったです。脳がビリビリして、絡まってたものを紐解いてくれたような感覚になりました。
MAKI:鈴木さんのその本は英訳されてないのですが、世界的に見ても珍しく、名著だと思います。こういったことを書ける人はなかなかいない。
山内:この本の内容で特に興味を引かれたのは、マスクからチューブが出ていて、 それを他者の性器に付けられるボディスーツです。それを読んで、《舞姫》で僕はこういうのをやりたかったんだよなと思いました。道徳的に見せちゃいけないようなことをあえて見せて、「動物的になりたい」という気持ちがあったんです。だから触覚とか嗅覚への関心が高まっていったんだと思います。
MAKI:ペーター・デ・クーペレ(Peter de Coupere)という嗅覚アートで有名な作家がいますが、彼も長いチューブで鼻と性器がつながってる、みたいなパフォーマンスを試みていましたね。
山内:鈴木さんの本にはゴムやラテックスの素材で作られた衣服を愛好する「ラバーフェティシズム」についても触れられていたのですが、《舞姫》で疑似SEXを行うために作ったのがラバースーツだったんです。これはラバースーツを作っている世界的に有名な職人さんが池袋でやっているKurageという会社に共通の知り合いのツテで特注しました。お店にはそういったファッションを愛好する「ラバリスト」の人たちが来て、ディープな会話を交わしていたことが印象に残っています。
MAKI:そういう趣味が東京だと普通に商業になってるというのはさすがですね。
山内:普通ではないですけどね(笑)。さっきの匂いは記録することが難しいという話に戻りますが、むしろ僕はそこに可能性を感じています。さまざまな技術の進歩によって現実はどんどん確定されていきますが、そういうものがまだ手の届かない範疇として嗅覚がある。ただ匂いに対して敏感な人、興味がある人はそこまで多くはないと思うのですが、それはそれで全然いいなと僕は思っています。なぜかというと『匂いのエロティシズム』には、人間は進化の過程で嗅覚を忘れていったみたいなことも書かれていて「なるほど」と思ったからです。
MAKI:毎日毎秒、人は息を吸ってるのに、それでも嗅覚を忘れていってるという話はすごく不思議です。でもそれが逆に、匂いの面白いところですよね。
ARTIST
山内祥太
アーティスト
1992年岐阜県生まれ、神奈川県在住。2014年金沢美術工芸大学彫刻科卒業、2016年東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。主な展覧会歴に「第二のテクスチュア(感触)」GalleryTOH(東京、2021年)、「鈴木大拙展 Life=Zen=Art」ワタリウム美術館(東京、2022年)「愛とユーモア」EUKARYOTE(東京、2022年)「アルスエレクトロニカ・フェスティバル2022」(オーストリア、リンツ、2022年)「MAM プロジェクト030×MAMデジタル:カオの惑星」森美術館(東京、2022年)。主な受賞歴に「TERRADA ART AWARD 2021」金島隆弘賞・オーディエンス賞、「第25回文化庁メディア芸術祭」アート部門優秀賞など。photo by Koichi Takemura
ARTIST
MAKI UEDA
嗅覚アーティスト
慶應義塾大学環境情報学部(学部1997卒&修士1999卒)にて、藤幡正樹氏に師事し、メディア・アートを学ぶ。2000年文化庁派遣若手芸術家として、2007年ポーラ財団派遣若手芸術家として、オランダ&ベルギーに滞在。2009年ワールド・テクノロジー・アワード(アート・カテゴリー)、2016年・2018年・2019年・2020年2018年アート・アンド・オルファクション・アワード・ファイナリスト & 2022年受賞。オランダ王立美術学校&音楽院の学部間学科Art Science非常勤講師。現在は沖縄石垣島在住。
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