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2023.07.28

「誰でも自分らしく居られる、アートの居場所へ」 / 前田エマの“アンニョン”韓国アート Vol.4

この連載はモデル・前田エマが留学中の「韓国」から綴るアートやカルチャーにまつわるエッセイです。小説やエッセイの執筆でも活躍し、国内外の美術大学で学んだ経歴を持つ前田が、現地の美術館やギャラリー、オルタナティブスペース、ブックストア、アトリエに訪れて受け取った熱を届けます。

第4回は韓国の障がいをもったアーティストたちの企画展へ。きっかけはとある韓国ドラマを観たこと。そこから韓国のカルチャーやアートが障がいや差別とどのように向き合っているのかを考えます。

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「5・18、光州ビエンナーレへ」 / 前田エマの“アンニョン”韓国アート Vol.3

  • #前田エマ #連載

はじまりは韓ドラ『私たちのブルース』

それは、ゆるやかでささやかな、それでいて強い衝撃だった。

私たちのブルース』(2022)は“韓国のハワイ”と呼ばれる済州島を舞台に繰り広げられるオムニバス形式のヒューマンドラマだ。
さまざまな家族のかたち、人生のかたちを描き、未成年の出産やうつ病など、現代社会の身近な問題も扱っている。それでも、観ているとじんわりと心が癒されていくのは、割り切れない感情を大切にし、人間臭さを丁寧に描いているからだろう。登場人物たちは、他者との対話を繰り返していくなかで、少しずつ自分の人生、そして他者の人生を受け入れ、許し、歩んでいく。
全部で20話あり、15人ほどの登場人物たちが物語を動かしていくのだが、フィーチャーされる人物が毎話異なり、俳優たちは主役と脇役を行ったり来たりする。

脚本を手がけたノ・ギュヒョンさんは、“どんな人の人生にも同じくらい価値があり、誰もが人生の主人公であるということを伝えたい”と、このような形式でドラマを世に送り出すことに決めたそうだ。
いつもなら主演を任されるような人気俳優たちが、ちょろっと脇役でしか出てこない回もある。逆に新人や年配の俳優が主役の回もあり、老若男女、誰もが自分の人生を精一杯悩みながら懸命に生きる姿を、平等な視点で眼差すことができる、稀有なドラマだ。

ドラマも終盤に差し掛かった第14話と15話。過去を語らず、誰とも深い関わりを持とうとしない、新人海女・ヨンオクと、そんな彼女に恋心を抱くパク船長が主役の回があった。ともに30代後半くらいの設定だろうか。
ふたりの恋路が気になってドキドキしながら観ていると、突然、韓国本土に住むヨンオクの姉が済州島にやってくる。それを機に、ヨンオクの姉がダウン症だということが、自然に、しかし唐突に明かされる。
ヨンオクの姉・ヨンヒを演じるチョン・ウネさんは、ダウン症の女性だ。

視聴者である私は、一瞬戸惑った。
障がい者を扱う作品は、事前に予告がある場合がほとんどだし、“障がい者”というキーワードが大きなテーマとなっていることが多い。正直な話、作品を観ようとする人を、最初に選別する場合も少なからずあるだろう。
また、障がいを持たない俳優が障がい者の役を演じる作品は数多あれど、当事者が演じるケースはまだ少ない。
しかし、私のそんな戸惑いも最初のうちだけで、いつの間にか登場人物たちの不器用で切ない生き様に、涙を流していた。ああ、これが脚本家がやりたかったことなのだと、納得した。

ドラマの中では、ヨンヒが掃除をしたり、カフェでアルバイトをしたり、趣味である編み物をしたり、料理に失敗したり、お酒を飲んでスカッとしたり、スマホのアプリで写真を加工して遊んだりと、当たり前の日常を自分らしく、喜びを感じながら送っている様子が描かれる。ヨンヒにも、私たちと同じように、ありきたりな生活が、心が、夢が、悩みや幸福があることを、教えてくれる。そして、他者に対して気を使う心を持っていることも、差別されることを悲しく感じていることも、彼女の温度感で伝わってくる。
ヨンオクが姉であるヨンヒに対して、いつだって優しくなんて居られないと嘆く姿や、接し方に後悔する姿も、きちんと視聴者に見せる。 パク船長をはじめとする島の人々の、障がい者へ対する戸惑いや偏見も正直に語られる。その中で気になったセリフがあった。 ヨンヒのことを初めて見た時、驚き、しどろもどろになったパク船長が、その後ヨンオクに謝罪し、この事実を知った上でも、ずっと一緒に生きていきたいと告げるシーンでのセリフだ。

「ダウン症の人を初めて見たんだ。そういうこともあるでしょ、驚くこともあるでしょ。だって、障がいがある人と出会ったとき、どうしたらいいのか、学校でも、家でも、どこでだって習ったことがないんだ」(※私による直訳)

また、魚屋を切り盛りする、義理人情に熱い女店主が「ヨンオクに障がい者のお姉さんがいるなんて話、聞いたことがなかったね」と、さらっと言うシーンがあるのだが、日本語字幕では“障がい者”となっているようだが、韓国語を直訳すると“アップン・オンニ=悩ましい(痛い)お姉さん”となる。 このふたつのセリフで、韓国社会での障がい者への温度感が、なんとなくわかるような気がした。

クライマックスで、ヨンヒとパク船長は、ヨンオクのためにささやかな展覧会を行う。展覧会で飾られているのは、ヨンヒが描いた絵画だ。島で過ごした数日間に出会った人々や、最愛の妹であるヨンオクを描いたポートレートたち。とても魅力的なこれらの作品は、ヨンヒを演じるウネさんが実際に描いたものだ。

ウネさんの職業は画家だ。
脚本家であるノ・ギュヒョンさんは、ウネさんと1年ほどコミュニケーションを取りながら、彼女の演じた"ヨンヒ”という人物を作っていったそうだ。
ちなみに、このドラマにはウネさんの他にも、聴覚障がいを持つ俳優イ・ソビョルさんも出演している。

 

アートを通して見つめ直した“眼差し”

ウネさんが参加されているグループ展「2023 聯 : Connecting Live」の様子

ウネさんの作品

ウネさんのドローイング

先日、ウネさんが参加されているグループ展を、ソウル・江南にあるギャラリー〈NVIR GALLERY〉まで観に行った。

この展覧会は韓国芸術文化団体、NVIR GALLERY、京畿道・ヤンピョンにある障がい者保護団体との共同運営で開催されていた。
このヤンピョンの障がい者団体が、なかなか興味深い取り組みをしている。

今回の展覧会は、ウネさんを含め、この団体にアーティストとして所属している発達障がい者たちの作品を観せるものだ。(韓国語の案内文では”発達障害”と記されていたので、ここではそのままの訳で表記する)
“アートを労働”として捉え、障がい者である彼らが自分らしく生きていくことをサポートしようという取り組みをしている。
その一つが“契約書を交わす”と言うものだ。
彼らは一人の労働者(アーティスト)として、この団体と契約を交わす。
週に何日この団体の施設に通い働く(作品を制作する)のか。どんな権利が守られるのか。社会保険や休暇の管理まで徹底している。どれくらいの給料が支払われるのか。そのお金が、どのような仕組みで成り立っているのかも、説明されている。
契約内容が、イラストを用いてわかりやすく記載された契約書があり、それをひとつひとつ理解しながら、アーティストたちが自ら名前を記入し判を押す。

この団体は、アーティストたちが集中して制作できる環境を整えようと努力している。
ここで大切なのは、彼らが施設に通う(出勤する)ということだ。
自分でお金を稼ぐことのできる喜びを感じられるだけでなく、自分の労働(アートの制作)に対して、価値を認められ、誇りを持つことができる。何よりも、通うべき場所があり、会いたい同僚がいるというのは、誰にでも平等に与えられるべき基本的な権利だ。

団体では活動をもっと開かれたものにするために、YouTubeでの発信や、障がい者の権利を求めてデモ活動も行われている。
毎週金曜日に開催するマーケットでは、市民の人々とその場でコミュニケーションを取りながら作品の注文を受け、制作を行う。

今回、何名かの韓国人に話を聞いてみたが、「日本よりも障がい者への差別が少し根強いかもしれない」「障がい者理解への授業などもなかったかも……」と聞いた。
しかしここ数年、障がいを持つ人々が魅力的に描かれるドラマが、ものすごいペースで作られていたり(『サイコだけど大丈夫』『ムーブ・トゥ・ヘブン:私は遺品整理士です』『おかしな弁護士ウ・ヨンウ』など)、芸能人や政治家が自身の子どもの障がいを公に語るようになったりと、少しずつだが社会の雰囲気は変わっているようだ。

私が韓国の障がい者への態度に関心を持った最初のきっかけは、日本でも出版されている韓国文学『宣陵散策』(*)だった。この小説は、アルバイトで急遽、自閉症の青年の世話を引き受けることになった二十代の青年の物語だ。障がい者への戸惑いと、物事を見つめる新たな視線への嬉しさを、みずみずしく描く。

*......詳細な解説は前田エマさんのnote「「諦めからはじめたい」〜チョン・ヨンジュン著『宣陵散策』を読んで〜/前田エマ」より

私には、ダウン症の幼馴染がいる。幼い頃からとても仲がよかった彼とは、小学校に上がると少しずつ、一緒に過ごす時間が少なくなっていった。別々の学校へ通うようになり、彼が今、何に興味があるのか、何を楽しいと思うのか、どんな生活を送っているのか、そういうことを見る機会がなくなった。社会の仕組みが、私たちの世界を切り離していった。幼かった私は、それをどうすることもできず、今頃になって、またあの時の違和感に向き合っている。そのことに対する怒りと、やりきれなさが、私の心の底にずっとある。

見えないものは、見えないままで、世界は進んでしまうのだ。

そのことを改めて考えるようになったのは、アートを学び始め、自分でも制作を行うようになってからだった。つまり大学に進学してからのことだ。 2011年の「アールビュルット・ジャポネ展」や、昨年、滋賀県立美術館で開催された「人間の才能 生みだすことと生きること」を観たことが大きいと思う。 もやもやした気持ちはまだぶら下がったままだが、国は違えどアートを通して、さまざまな眼差しが増えていくことに、希望を持ちたい。

ピ・ジュホンさんの作品

イム・ウジンさんの作品

キム・ジングクさんの作品

キム・ヘジャヒョンさんの作品

連載「前田エマの“アンニョン”韓国アート」
Vol.1 「なぜいま、韓国のアートなのか?」 
Vol.2 「韓国映画のポスターを手掛ける『Propaganda』のアトリエへ」 
Vol.3 「5・18、光州ビエンナーレへ」 
Vol.4 「誰でも自分らしく居られる、アートの居場所へ」
Vol.5 「韓国在住の日本人アーティストのアトリエを訪ねて」
Vol.6「この半年間で体感した、韓国アートの熱さ」【最終回】

DOORS

前田エマ

アーティスト/モデル/文筆家

モデル。1992年神奈川県生まれ。東京造形大学を卒業。オーストリア ウィーン芸術アカデミーの留学経験を持ち、在学中から、モデル、エッセイ、写真、ペインティング、ラジオパーソナリティなど幅広く活動。アート、映画、本にまつわるエッセイを雑誌やWEBで寄稿している。2022年、初の小説集『動物になる日』(ミシマ社)を上梓。

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