- ARTICLES
- 東京都庁の高松次郎作品で現代美術のワケワカランが解ける / 連載「街中アート探訪記」Vol.35
SERIES
2024.12.18
東京都庁の高松次郎作品で現代美術のワケワカランが解ける / 連載「街中アート探訪記」Vol.35
Critic / Yutaka Tsukada
私たちの街にはアートがあふれている。駅の待ち合わせスポットとして、市役所の入り口に、パブリックアートと呼ばれる無料で誰もが見られる芸術作品が置かれている。
こうした作品を待ち合わせスポットにすることはあっても鑑賞したおぼえがない。美術館にある作品となんら違いはないはずなのに。一度正面から鑑賞して言葉にして味わってみたい。
今回は高松次郎の作品を観に都庁にやってきた。絵の美しさから離れ、概念的な問題へと移った現代美術において、反芸術の旗手として先鋭的な作品でリードしてきた高松次郎。この高松はキャリアの後半、絵画に立ち戻った。ただの絵画に収まらない絵画が都庁の食堂の脇に飾られていた。
前回も東京都庁へ。関根伸夫作品から"もの派"について考察
先鋭的な現代美術作家の晩年の絵画作品
大北:高松次郎作品を観に東京都庁にやってきました。ここの場所ってのは職員さんしか見られないんですかね。
塚田:都庁に打ち合わせとかで来た人も見られるんじゃないですか。(※食堂は来庁手続きをすれば一般利用が可能)
大北:さっき掃除の方に絵のことを聞いたら、見てはいたけど覚えてはないって。
塚田:都庁は作品がけっこうありますからね。でも高松次郎はもう大作家ですよ。
大北:ああ、そうなんですか、知らなかった。
塚田:相当大作家。日本の戦後の現代美術の最重要人物の1人ですね。
大北:まだ活躍されてるんですか?
塚田:1998年に62歳で鬼籍に入られたんですが、なんで重要かというと「現代美術」でやれることを形式としてとことん追求した人なんですね。
大北:形式かー。変わったことやってたんですかね。
塚田:キャリアの初期には赤瀬川原平と中西夏之と3人でハイレッド・センターっていうユニットを組んでたんですが、路上でやったり、いわゆる前衛的な活動を積極的にやってたんですよね。
大北:ああ、1万円札の偽札とかの赤瀬川原平。学生運動とかカウンターカルチャーとかの若い表現が盛り上がってた時代の。
塚田:ですね。その頃一緒に活動してた時期があると。そういう人なんですよね。
『飛翔』1990年 高松次郎 @東京都庁第二本庁舎4階職員食堂脇 ©The Estate of Jiro Takamatsu, Courtesy of Yumiko Chiba Associates, Tokyo, Pace Gallery, New York and Stephen Friedman Gallery, London
世界の見方を変えてくれるのが現代美術
大北:正直なところ、ああこういう絵が公共の場所に飾ってるよなあというぼんやりした印象です。
塚田:これは後期の作品なんです。前置き的な話が長くなっちゃうんですけれども、なんで高松が重要かというと、作品を通じて世界の認識とか概念、人々の常識に修正を迫ったり、違った見方を与えてくれるような作家として、いろんな方法ですごい作品を作ってきたからなんですよね。
大北:作品を通じて世界の認識に修正を与える。
塚田:世界を新しい切り口で見せてくれるみたいな。現代美術の最重要課題に取り組み続けたんです。
大北:あ、そうなんだ。世界ってこういう見方があるのかと考えさせてくれるような作家ってことですか。
塚田:すごくいろんなバリエーションで高松はそれをやってたんです。高松の仕事をある程度把握できるようになると、他の現代美術作品を見ても納得しやすくなると思います。
大北:高松次郎を通じて現代美術を学べるような。
塚田:そうそう。現代美術の王道なので教科書的でもある。だからプラクティスというか、そういう勉強をするための作家としても非常にちょうどいい。研究とか回顧展とかも断続的に開かれていて、今でもすごく研究とか関心を持たれています。
大北:ということは、作風も全然違うわけですか。
塚田:全然違います。彫刻もありますし、写真もありますし。
大北:全部できるんだ。
塚田:全部できますね。代表的なシリーズで影のシリーズという影を描くだけの絵画作品があって、それも非常に解釈を誘うものです。本来はその対象があって、影はそのネガでしかない。でもそのネガだけで作品を成立させていることで「実像と虚像」っていう視点を抽出している。絵画になくてはならない影を主題とすることで美術史への批評にもなっています。
大北:なるほどなあ。デッサンでみんな影描きまくってますもんね。その頂点だ。
塚田:あと、単体シリーズってのがあるんですけど、レンガをくりぬいて、そのくりぬいた部分を粉々に砕いてその中にに入れた作品があるんです。かつては1つの単体であったけれども、粉々になってるよっていう。
大北:へー。え、それはもう実物見せてるわけですか。
塚田:そうです。元は1つのものとして認識されるものだけれども、砕けば複数性が生まれることを示してるわけですよね。1つと複数の恣意的な関係性。加工を施せばどうとでもなるじゃないかっていう。
大北:単体と複数というのは大きな違いだけれど、一回砕くとそうなる。そうするとそんな違わなくないか?と。
塚田:簡単な言葉で言うと、「知的」な操作ですね。現代美術ってそういう見方や解釈を転倒させることをやる人ってたくさんいますよね。デュシャンとかもそうですし。そういったことをすごくいろんな方法でやってきたのが高松次郎。
大北:なるほど、概念を揺るがすようなことをやるんだ。私達に根付く「わけがわからんのがアート」のイメージど真ん中っぽいですね。
概念を追求してきた高松のアフォリズム
塚田:あと言葉についても触れておきたいですね。高松がすごくたくさん研究とか批評されてる理由の一つだと思うんですが、高松は言葉がね、いいんですよ。含蓄のある言葉を残していて。例えばこういうの。「文字の中で自己矛盾のない文字は、『文字』という文字だけであるということ」とか。
大北:ん? 文字って矛盾してますっけ?
塚田:文字っていう漢字だけが文字そのものを表してるじゃないですか。
大北:ああ、なるほど。「文字」以外は違うものを指してますよね。
塚田:そりゃそうだろと思いました?
大北:いえいえ。だからなんなんだ、とは思ってますよ。
塚田:そういうことに気づかせることが現代美術の役割だということは国立新美術館で玉山さんの作品を取り上げたときにお話しましたよね。
大北:作品によって自分の感覚が変わっていること、それを味わうのがミニマル・アートという話でしたね。
塚田:「文字というものは指示対象とのズレが必ずある」ってことを明るみに出すアフォリズム(警句、箴言)なんです。
大北:なるほど、それによって私達がちょっと変わる言葉。
塚田:こういう風に考えさせる言葉をめっちゃ残していて、本にもまとめられています。そういった概念の探求への姿勢が、作品と言葉の両方で提示されている作品が多いのが人気の理由でもありますね。
大北:うーん、現代美術やるにはちょっと頭が要りそうですよね。
塚田:柔軟な頭が必要ですよね。
これはいわゆる絵画ではない
大北:そしてこの絵もいろんな作風があったうちの1つなんですか。
塚田:はい、そんなことを色々やってた高松なんですけど、70年代後半ぐらいから晩年までは絵画をずっと描いていて。でも実は、絵画に関してはそんなに評価されてないんです。
大北:ものの考え方とかはおもしろいと人気だけど、絵画は…
塚田:あまり芳しい評価を得ているわけではないんです。ただ近年ではその辺りの修正も行われていて、保坂健二朗さんという学芸員の方が「高松次郎ミステリーズ」という展覧会の図録にこういうことを書いてます。いわく、高松が昔やってた概念的な仕事と紐付けて考えると、高松の絵画は絵画ではないと。つまり晩年の高松が取り組んだ絵画は、前後感とか空間を描くものとしての絵画ではないと書いてます。
大北:となるとこの『飛翔』も一見、抽象画っぽいけれども、前後感見るものじゃないよと。かつて辰野登恵子の抽象画の回でせっかく「抽象画は何が手前で何が奥かを見てればいい」と知ったのに…。
塚田:辰野登恵子は前か後ろかみたいなのが味わい深かったじゃないですか。でもこの『飛翔』は地と図の関係がはっきりしてるし、複雑な関係性を持ってない。
大北:のっぺりしてますね。
塚田:そうですね。多分一番最後に白を描いたんだろうなという関係性も明瞭じゃないですか。もし空間的に複雑にしたければ、例えばこのピンクのS字の上に乗ってる白の上に、さらにもう1回ピンクで塗るとかをする。
大北:上に来るものを入れ替えたりして前後をわからなくさせる。
塚田:でもこれは一番最後白を重ねて終わっていて、前後関係に関しては非常に掴みやすくなってる。っていう風に考えると、空間として両義的であったり、複雑にしようという意図はあんまりない。
絵の具を置けば空間が生まれてしまうことそれ自体を描く
大北:高松さんは「空間性?いらないいらない!」ってことになったんですかねえ。
塚田:空間云々というよりかは、そのような空間を判断する味わい方の前提自体を主題としたんじゃないかと。
大北:空間性が生まれてしまう自分を味わえ、と。
塚田:前後というより、絵画そのものを概念として捉えてたんじゃないかと保坂さんは書いてました。絵の具そのものであると同時に、しかし便宜的には空間性が生まれてしまうという、絵画の二大前提みたいなものを表現することを目指してたんじゃないだろうかと。
大北:絵を描こうとして色を置くと、空間性が生まれる。それだけを表現する、と。
塚田:絵画というものの1つの概念化です。とても高松らしいです。
大北:絵画とは何かみたいな絵でもあるってことなんですね。
塚田:そうですね、高松の過去の仕事を参照すると、それをすごくシンプルな形で提示しているんじゃないかって。だからこそ空間的に複雑だったり、ニュアンスに富んでたりすることはそんなに重要じゃなかったんじゃないかと。
大北:シンプルに描くだけでも空間は生まれるし、生まれてしまうじゃないかと。
塚田:そうですね。空間が生まれてるでしょってことと、でもやっぱり絵の具でもあるよねって。
大北:そうか~「高松さん、適当に描いてんじゃないか」疑念が僕にはあったんですが、これは「絵の具でもあるよね」を提示してるのかもしれないですね。
塚田:この描いたっていう風な筆触(筆さばきによる質感、タッチ)を残してるのも、きっとそのためなわけです。
何かをイメージさせてはまた絵の具に戻る
大北:一方、「海の生物っぽいな」とか「鳥っぽいな」とかギリギリ意味が生まれてくるかどうかぐらいの感じもありますね。
塚田:でもそこまではさせないというか、あくまでも、絵の具っていう物質を常に見せながら、エイっぽいものも含んだ前後感や空間といったものと往復させる。
大北:あー、往復させるというのか。エイかな?いや、絵の具だよなという感覚をうろうろしますね。
塚田:そういうシンプルな対比を通じ、全体として絵画の前提条件ってのはこういうことだよねっていうことを示しているのではないでしょうか。
大北:色を置けば空間が生まれてくるでしょっていうことですね。なるほど、それだけを提示するのか。うん、この感覚だけを提示しろと言われたら大変ですね。
塚田:やっぱり高松次郎の面白さって、味わいうんぬんっていうよりかは、そういう見立てのシャープさから出発して、鑑賞者に堂々巡りをさせるような仕掛けを作るのが非常に巧みなんですね。作品自体の味わいというよりかは、自分が見て、作品と向き合うその往還のなかで味わいが出てくる。
鑑賞体験から改めさせてくれる絵画作品
大北:絵の具を置いて空間が生まれるだろってことを見せるには、何を描いてもいいってことにはならないんですかね。
塚田:何を描くかっていう問いの立て方はしてないんじゃないですかね。結果として何かっぽくはなってるけど。むしろ高松の絵画は、その「何かっぽい」と感じてしまう鑑賞者自身の思考に問いを突きつけているようにも思います。
大北:いや、高松はどういうつもりでやってるのだろうと気になってきて。「さあおれが絵画とは何かを絵で描いてみせるぞ」とか思うんでしょうか。いや、違いそうですね。もしかしたら高松次郎自身は筆を動かして何かを描くというより、もう何かわからない運動みたいなものをしていて……
塚田:ああ、そうですね。
大北:それは人間がちょっと捉えきれない、言語化できないなにかで。
塚田:高松の中では。
大北:なんか勝手にイメージしてましたが、この絵との向き合い方が分かってきました(笑)。そんな作者自身も言語化しないようなものを、なんか高松わかってきたぞ、いや、やっぱり高松わからんな、とうろうろするのはおもしろいですね。
塚田:そうですね。そういう謎かけのうまさがあるので、とりあえず付き合ってみるっていうのが高松次郎作品の付き合い方ですかね。
大北:なるほど。いろんな見方ができる豊かさがあるってことですよね。さっきの影とか。そもそもなんですが、絵画というものがよくわかってなかったのかも。本人が「絵を描くならもうこうでしかない」っていうものを出してきて、言葉にすればこうかなみたいな。
塚田:高松には紙に「この七つの文字」って書いただけの作品もあるんです。
大北:ありますか。
塚田:タイトルは「日本語の文字」。「この七つの文字」という言葉は七文字なんですが、日本語の文字として矛盾がない。
大北:それは矛盾してないですね(笑)。
塚田:そうそう。文字においても矛盾してない。
大北:高松にとってはそうでしかないものを我々がなんか必死になって追いすがって解釈していくような感じがありますね。
塚田:そういったところではやっぱり、見る人の興味をかき立てていくタイプの作家ですね。
大北:いや、すばらしい。なるほど、見方を味わうって感じだなあ。
塚田:都の職員の方及びお仕事に来た方にはぜひ見てほしいですね。大作家なんで。これ見られるのはお得ですよ。
美術評論の塚田(左)とユーモアの舞台を作る大北(右)でお送りしました
DOORS
大北栄人
ユーモアの舞台"明日のアー"主宰 / ライター
デイリーポータルZをはじめおもしろ系記事を書くライターとして活動し、2015年よりコントの舞台明日のアーを主宰する。団体名の「明日の」は現在はパブリックアートでもある『明日の神話』から。監督した映像作品でしたまちコメディ大賞2017グランプリを受賞。塚田とはパブリックアートをめぐる記事で知り合う。
DOORS
塚田優
評論家
評論家。1988年生まれ。アニメーション、イラストレーション、美術の領域を中心に執筆活動等を行う。共著に『グラフィックデザイン・ブックガイド 文字・イメージ・思考の探究のために』(グラフィック社、2022)など。 写真 / 若林亮二
新着記事 New articles
-
NEWS
2024.12.19
松坂屋名古屋店でアートブックフェアを開催 / C7C galleryやtwelvebooksら、注目のアートブック専門店などが名古屋に集結
-
REPORT
2024.12.18
タイ、バンコク。日常風景と共に楽しむ / ライター・竹村卓の、この街ならではのアートの楽しみ方、歩き方
-
SERIES
2024.12.18
まぼろしの過去、明るい未来。〜GALLERY MoMo Projects&浪花家総本店〜 / 小原晩の“午後のアート、ちいさなうたげ” Vol.3
-
SERIES
2024.12.18
東京都庁の高松次郎作品で現代美術のワケワカランが解ける / 連載「街中アート探訪記」Vol.35
-
SERIES
2024.12.11
高橋愛を成長させたアート体験「モノクロの作品が自分に必要なことを自覚させてくれた」 / 連載「わたしが手にしたはじめてのアート」Vol.30
-
NEWS
2024.12.05
ARToVILLA主催展覧会「ARToVILLA MARKET vol.3 ―読んで 創って また読んで」を開催 / 「マンガ」をキーワードに、アートとの新しい出会いをお届け!