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  • 漫画家・井上三太に聞く「フォロワー数や受賞の有無だけで語れない、『教科書の太字にならない発明』の価値」 / 連載「わたしが手にしたはじめてのアート」Vol.39

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2025.09.10

漫画家・井上三太に聞く「フォロワー数や受賞の有無だけで語れない、『教科書の太字にならない発明』の価値」 / 連載「わたしが手にしたはじめてのアート」Vol.39

Interview&Text / Mai Miyajima
Edit / Miki Osanai & Quishin
Photo / Daisuke Murakami

自分らしい生き方を見いだし日々を楽しむ人は、どのようにアートと出会い、暮らしに取り入れているのでしょうか? 連載シリーズ「わたしが手にしたはじめてのアート」では、自分らしいライフスタイルを持つ方に、はじめて手に入れたアート作品やお気に入りのアートをご紹介いただきます。

お話を聞いたのは、漫画家の井上三太さん。画家の父を持ち、アートに囲まれた幼少期を過ごした井上さんは、自然な流れで漫画の道へ。ヒップホップ黎明期の東京の街に立ち、ストリートカルチャーと漫画を融合させた独自の世界観でヒット作『TOKYO TRIBE(トーキョートライブ)』を生み出しました。

36年にわたる漫画家生活、そのなかでロサンゼルスへの移住も経験した井上さん。「クリエイティブの世界は9割以上が売れないという厳しい現実がある」としつつ、それでも毎日絵を描き続けてこれたのは「自分を鼓舞して、自分にしかできないオリジナルをつくっているという気持ちでやってきたから」でした。井上さんのお話からは、フォロワー数や発行部数などの「数」や「受賞の有無」などでは語れない、創作の価値について考えさせられます。

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  • #西村文男 #連載

# はじめて手にしたアート
「画家だった父。アトリエのあるパリでアートを身近に感じながら育ちました」

「はじめて手にしたアート」と言われたら、やっぱり父の絵になりますね。

僕の父は画家なんです。井上公三といって、シルクスクリーン版画でカラフルな花の絵などを描いていました。この絵は僕が50歳くらいのとき、父が亡くなる前にくれたものです。今は、自宅の玄関に飾っています。

井上さんの父・井上公三(1937〜2017)は「KOZO」の名義で1960年代より世界各国にて個展を行うとともに、シルクスクリーンのグラデーション技法を開発し、壁画などのパブリックアートを制作

僕は、両親が離婚する9歳までは父のアトリエがあるパリで暮らしていて、まわりに絵があふれている環境で育ちました。父の友人も画家や彫刻家、イラストレーターといった人ばかりだったので、「自分もアートを仕事にするんだろうな」と考えるのは、自然なことだったように思います。

日本に帰国してからは、たまに会う父からよく、アートの話を聞いたものです。普段会えないぶん、いろんなことを息子に伝えようとしていたのだと思います。

# アートに興味をもったきっかけ
「ヒップホップから、スニーカー、スケボー、グラフィティなど、さまざまなカルチャーに魅了されていきました」

アートについて父が話していたことで覚えているのが「面で捉える人と線で捉える人がいる」ということ。

版画で色の表現を追求していた父は「面の人」だったと言えるかもしれません。対して僕は「線の人」。子どもの頃からディズニー作品などのアニメが好きで、線が生み出す物語に惹かれていました。「漫画家になる」と言ったら父は喜んでいましたね。

漫画を本格的に描き出したのと同じ時期に出会ったのがヒップホップ。ニューヨークでヒップホップなるものが流行っているらしいと、音楽プロデューサーの藤原ヒロシさんらが取材した記事が雑誌『宝島』に載っていたんです。聴いてみたら、おもしろい音楽だなと感じて、そこからスニーカーやスケボー、グラフィティなど、アートも含めたさまざまなカルチャーに魅了されていきました。

そういうところから、原宿のストリートでたくさんの友人ができました。たとえば、のちにA BATHING APE(ア ベイシング エイプ)をつくったSKATE  THING(スケートシング)さんなど。

つながりが増えていくなか、自分としては、「ストリートの現場にいるひとりの記者として、B-BOYたちのカルチャーや魅力的な友人たちのライフスタイルを漫画で表現してみよう」と思いついたわけです。ヒップホップが世界的に有名になりつつあって、漫画も日本が誇るメディアだけど、その交差点にいるのは自分しかいない。そうやって自分だからできることを見つけて生まれたのが、『TOKYO TRIBE』でした。

井上さん自身もファッションブランド「SANTASTIC!(サンタスティック)」を立ち上げ、ディレクターを務める

# 思い入れのあるアート
「シリアルの箱やバイパス沿いの看板。日常の景色にも、アートを感じる」

井上さんの作業机の下には、デザインがお気に入りの映画のチラシが並ぶ

2017年末にはロサンゼルスに移住して、5年間暮らしました。漫画家として活動するなかで、もっとアメリカのカルチャーやアートを学びたい気持ちがあったからなのですが、現地で生活していて強く惹かれたのは、スーパーマーケットに並ぶシリアルなどのパッケージデザインでした。

商品として入れなければいけない情報は収めつつ、パッケージに蛍光色を使っていたり、フォントにも遊び心があったり。お菓子の箱ってパッとゴミ箱に捨てられちゃうものだし、デザインしている人がどこまでアートと捉えているかわからないけれど、そういうのも誇るべきアートだと、僕は思うんです。

特にこの箱は、グラフィティアーティストのKAWS(カウズ、本名はブライアン・ドネリー)とコラボして生まれたパッケージデザインですが、ポップでかわいいなと感じます。

KAWSは、ニューヨークのストリートにあるビルボードや公衆電話などにグラフィティを描き加えるイリーガルな手法で注目されていましたが、画商がついたことで一気に世界的に有名になった人。アートトイも有名で、『TOKYO TRIBE』のキャラクター「ハシーム」ともコラボさせてもらいました。こういったソフビ(ソフトビニール)もアートだと言えるんじゃないかな。

2007年発売。『TOKYO TRIBE』の人気キャラ「ハシーム」とカウズの代表的なキャラクター「COMPANION(コンパニオン)」が融合したデザイン

KAWSもシリアルの箱みたいな工業的なデザインが好きで、彼が来日して僕の家に来たときに「東急ハンズに行くのが好きだ」と言っていた記憶があります。訪日外国人の方々が、自動販売機やローカルごとに異なるマンホールなど、自国にはないものをおもしろがって写真に収めるような感覚なんだと思います。

僕自身も改めて、日本の街に目を向けてみると、バイパス沿いの景色にも心惹かれたりする。牛丼屋さんや紳士服店の看板などにもつくり手がいて、それらが集合して街の景色をつくっているんだと気づかされます。自分が漫画を描くときも、その時代の街の様子をつぶさに記録していきたいという気持ちがありますね。

連載中の最新作『惨家(ざんげ)』の表紙にも、看板が並ぶ街の様子が描かれている

# 36年の漫画家生活を支えてきたもの
「教科書に載らない小さな“発明”がだれかの表現に影響を与えたなら、それも価値がある」

学生の頃から漫画家を続け、アメリカではクリエイターやプロデューサーらが参加する社交の場も見てきました。そこから言えるのは、クリエイティブの世界で売れることがいかに難しいかということ。

特に、今の世の中では、その作家や作品にどのくらい価値があるのかが、数で評価されるようになっている。フォロワーが何万人いるとか、「ドバイで10億円で絵が売れました」とか言われると、作品自体というよりもその他者評価を「すごい」と思ってしまって、またフォロワーが増えていく。すると企業がコラボを持ちかけて、また別の企業が「ウチでもああいう感じでお願いしたい」とコラボを持ちかけて……といった具合に、急行電車に乗って売れていく。

つまり、売れる急行電車というのはあるにはあるけど、それに乗れるクリエイターはほんの一握りだということです。でもじゃあ、スポットライトが当たらない9割のクリエイターはダメなんですか?という話で。全然メディア化されない作品はダメだ、みたいなふうに言い切ってしまったら悲しすぎないか、と思うわけです。

たとえば、知らない人に「お前の彼女、ブスだな」って言われて嫌な気持ちになっても、自分は彼女のチャームポイントを知っていて大好きだと思っているなら、誰に何を言われようがどうでもいいのと同じ話で。たったひとりの「好き」って気持ちが本物であれば、価値がある。そこが、数字や受賞の有無で価値が決められる側面が強いスポーツや商業漫画と、アートとの違いなんじゃないかと思います。

その上で僕は、『TOKYO TRIBE』もそうですが、「自分はユニークでほかの誰にもできないオリジナルなものをつくっているんだ」と自分を鼓舞して漫画を描いています。部屋のなかで化学実験をしていて「すごいものができちゃった!」と、世間の人に見せるような感覚です。

実際そうやって、教科書の太字にならないような発明をしている漫画家さんがいっぱいいて、小さな発明が次の人たちに引き継がれていくことも、ひとつの価値だと言えるはずです。

# アートのもたらす価値
「お金を出してアートを買うというのは、作者の人生の経験値を買うということ」

すでに売れているものが売れていき、9割の人は売れないという前提があるうえで、クリエイターはどうすればいいか……。この話にゴールなんてないんです。

でも、僕が36年の漫画家人生をふり返って言えるのは、絵を描くことが好きで毎日描いているなら、それも普通の人にはできないひとつの才能だってこと。うまく描けない日でも、やる気が湧いてこない日でも机に向かうって、すごくツラいんですよ。好きじゃないとできないこと。それが世間に認められるかはまた別の話で、多くの人から認められなかったから才能がないとか、おもしろくないとか、そういう話ではないんです。

漫画でもアートでもそうですが、「続ける」ということが難しいなかで、自分だけのオリジナルをつくっているんだと自らを鼓舞しながら生まれた作品というのは、その人の人生が乗っかっているんですよね。

だから、人がお金を出してアートを買うという行為は、作者の人生の経験値を丸ごと買うってことなんだと思います。

『TOKYO TRIBE』の主人公・海を描いた作品。ストリートファッションの表現やダウンの線の描き方などに井上さんのオリジナリティが光る。キャラクターを並べて連作にする予定だという

僕自身は最近、漫画のコマのなかだけじゃなくてキャンバスにも絵を描いています。父が亡くなる前に「大きいキャンバスに漫画の絵を描いたらアートになるんだ」と言っていて、それを試してみたくて。

やってみて気づいたのは、漫画の線とアートの線はまったく違うということ。単純に漫画を拡大すればいいのかというと少し違って、アートの線は飾ったときにずっと眺めていられるような線が求められる。漫画家がこういうアート表現をするのも比較的新しい気もするので、個展ができるくらい描いていきたいですね。

僕は今、57歳。どんなに有名でもお金持ちでも等しく死んじゃうし、それが明日なのか30年後なのか、誰しもわからない中で生きているんだから、後悔しないように。毎日机に向かって絵を描いて、やりたいことはどんどんやろうという気持ちでいます。

 

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DOORS

井上三太

漫画家

1989年、『まぁだぁ』でヤングサンデー新人賞を受賞し21歳で漫画家デビュー。ヒップホップやストリートカルチャーを色濃く反映した『TOKYO TRIBE』シリーズは2006年にアニメ化、2014年に実写映画化され話題に。現在は、ヤングチャンピオンにて『惨家』を連載中。現代社会に起こる恐怖の事件を、臨場感あふれる独特の表現技法で描いている。

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